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第2章 誘う


 重い鉄扉を肩で押し開いて、スマホを尻ポケットに突っ込みつつロッカーに指をかける。
 デジタル時計を一瞥して、専用のエプロンを取り出して上着をハンガーに掛ける。
 この間二十三秒ほど。
 それから六歩の辺りにタイムカードを登録する端末が置いてあるので、親指で慣れたパスコードを入力して出勤登録。
 これが、平日朝のスタート。
 個人経営レストラン、ルフナ。
 八条はスライド式のドアのガラスで髪型をチェックしつつ、中に入った。
 すぐに厨房の視線が集まる。
「おはようございます」
「八条さん、髪短っ」
 先頭切って挨拶かましてきたのは一つ上の五木。
 専門学校時代、コンテストから交流があった長い付き合いの先輩で、美映のことも熟知している。
 離婚時は相当助けられた。
「五木さん、サーロインの掃除した手で触んないでください」
「ちゃんと手袋外してんだろー? おお、意外に毛根しっかりしてんな。安心じゃねえか」
「貴方と違って」
「うっせ」
 手を消毒する短い間のこの雑談も朝の儀礼のようなものだ。
 女性は髪型の変化に気づかれないと傷つくというが、成る程こうしてすぐに指摘されるのは悪くないものだ。
 十年以上同じ髪型だったから、新鮮だ。
 五木が料理長の視線を読み取って持ち場に戻るのを眺めていると、背後から肩に顎をちょこんと乗せられる。
「やあやあ。八条さん。妙に元気じゃない、今朝は。何か良い出会いでもあったかしらん」
「……九出さん」
 白いコックキャップを目深に被った九出が、にやりと口の端を持ち上げる。
 四歳上とは聞いているものの、年齢不詳感が否めない女性だ。
 人の肩で顎をガクガクさせて遊ぶのも含めて。
 右側の髪は綺麗に剃り上げられ、残る半分はストレートを掛けたベリーショートという凡人離れしたセンスも理解しがたい。
「俺に構ってる場合ですか? 最近バンズの仕込み安定してないですよ」
「言うねえ。あんたこそ安定してた髪型卒業しちゃって、人生の不安定に飛び込むのかい」
「何いってんですか……」
 一分もしないうちに疲れさせる天才だ。
 ある意味話術に長けているのだろう。
 九出から逃れつつ、貯蔵庫に在庫確認に向かう。
 扉を開くと、寒そうに身を縮ませながらメモを取る三池がいた。
「あっ、う、おはようございますぅ! 八条さん。早速ですが、ベーコンて今日ですよね」

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