許容範囲内
第4章 疑う
七瀬月人の出勤は二十六日ぶりだった。
三週間の出張に、短期でよそからシェフを雇ったという発表が昨日のことのよう。
「久しぶり、八条さん」
「お疲れ様ですね、七瀬さん」
見慣れていたはずのコック姿の七瀬が新鮮に見える。
少し伸びた茶髪のせいかはわからない。
厨房一の低身長の彼は、百六十を満たすか否かといったところだ。
その割に醸し出すオーラの大きさは人並みではなく、記憶では百七十を超えているので毎回「あれ、こんな低かったか」という錯覚に陥る者多数である。
「月ちゃん、おっかえり」
冷凍庫から出てきた九出が驚いた声を上げる。
「ただいま」
傍から見ても二人は親友という素敵な関係を築いている。
お互い独身なので結婚すればいいという意見もあったが、九出も七瀬もその気はさらさらないと笑い飛ばした。
口元の黒子を隠すようなえくぼを作って微笑む七瀬は、肩の荷を下ろしたように力なく息を吐いた。
「我が家って感じ、ここ」
「どうでした、研修」
「いや、凄い楽しかったよ。二度と行きたくないけど」
「大変だったんですね」
「まーね」
低音ながらも少年のあどけなさが漂う話し方も彼らしい。
八条の一つ上であり、学生時代に神童と呼ばれたこの世界ではそこそこ有名なシェフだ。
世界大会のチームに呼ばれたこともある。
やりたい方向ではないと丁重にお断りしたようだが。
「ん……なんだっけ。八条さん、浮気したんだっけ」
「離婚ですよ」
「あ、そうだ。そう。九ちゃんから聞いてたからさ。私がいない間にいろいろあったんだなあって」
一人称が「私」というのも独特で周りから浮き立っている。
それでも妙に似合っているので違和感はないのだが。
「まあ、そうですね」
「新しい相手は?」
「まだそんな気起こりませんよ」
「ふうん」
「月ちゃん、だまされないで。八条さん、いい感じの相手見つけてるから」
「へえ」
「九出さん、だれの話ですかそれ」
見当は薄々ついている。
「一川くん」
「やっぱり」
「誰それ?」
「後で話すよ、月ちゃん。あたし休憩終わってんの」
そそくさと作業に戻る彼女を見送って、七瀬はゆっくりと八条に向き直った。
これから君を問い詰めるよ、と言わんばかりに。
「俺も休憩終わっ」
「あと十五分あるよね」