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約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever

第1章 邂逅~めぐりあい~

―旦那さんはなかなかお眼が高いねぇ。
 露天商の老人は皺に埋もれた細い眼をしばたたきながら、そんなことを言った。
 父はその時、老人が愛想を言っているだけだと思った。父の勤務する会社には韓国に支社も持っている。若い頃は韓国支社の駐在員を務めていたこともあるという父は、韓国語も流暢に話せたので、現地の言葉で言ってやったそうだ。
―ホウ、すると、何か特別な謂われでも?
 小柄な老人は眉も顎の下にたくわえた口髭もたっぷりとしていて、まるで山奥に棲む隠者のようだった。
―さよう、あまり大きな声では言えないが、この簪は何でもはるか昔、さる高貴なるお方の御髪(おぐし)を飾っていたといいますよ。
 店主の老人によると、この簪は朝鮮王朝時代、何代めかの王の寵姫が愛用した品だとか。
 むろん、現実志向の父は、そんな荒唐無稽な話を本気にはしなかった。が、たとえ口から出まかせにしても、興味はそそられた。
 値段も手頃だったため、その場で金を払って引き取ったのだ。
―それにしても、王の妃の持ち物だったほどの値打ち物なら、宝物館かどこかに収まっているべきものでしょう? そのような由緒ある品が言っては失礼だが、こんな露店の店先に転がっているはずがない。あなたのお話が本当なら、この簪は今、あなたが私に提示した値段の百倍どころか値段もつけられないほどの価値があるはずですよ。
 品物を受け取りながら父が店主に言うと、老人は意味ありげな笑みを浮かべた。
―そう、ありえない話だ。ですがね、旦那、歴史ってものは、ただ語り継がれているだけのものがすべてとは限らないでしょう。歴史の波間に沈んでいった名も無き人だって、ごまんといたはずだ。そして、それは私らのような庶民だけではなく、雲の上のやんごとなき方々にしても同じじゃありませんか? 陰謀や政争の犠牲となって歴史の闇に葬られたお方だって一人や二人じゃないでしょうよ。この簪は、そういったお方が身につけていらっしゃったものだと聞きましたよ。
 その日、父はそのまま店主に見送られ、滞在先のホテルに戻った。が、夜になって一人で考えみても、そのような因縁のあるいわくつきの簪を持っているのは止めた方が良いと思い直し、翌日、再度、その露天商を訪ねた。

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