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約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever

第1章 邂逅~めぐりあい~

 だが―、何とも奇妙なことに、父が訪ねていった時、既にその露天商はいずこへともなく姿を消していた。いや、確かに昨日はそこに謎めいた老人が店を出していて、いかにも女性が歓びそうな細々としたアクセサリーを商っていたはずなのに、翌日、その界隈で幾ら聞き回ってみても、そのような老人はついぞ見かけたこともないと誰もが口を揃えて言った。
 では、自分はいっときの夢を見たのか。あの老人は、異国で束の間の白昼夢が見せた幻だったのだろうか。そうも思ってみたが、我が手の残された簪を見るにつけ、あの出来事が現(うつつ)であったことは疑いようもない。
 父は結局、その簪を旅行鞄に詰め込んで帰国した。
 父に簪を見せられた時、莉彩はひとめで心惹かれた。何故かは判らない。でも、じいっと見つめていると、心の奥が妖しくざわめき、鎮まっていた感情が俄に激しく根底から揺さぶられるような感じがしてならなかった。
 去り際の父に、かの露天商の声が追いかけてきたという。
―旦那、その簪には不思議な力があるそうですよ。
 思わず振り向いてしまった父に、店主は声を張り上げた。
―離れ離れになった恋人たちを引き寄せるという不思議な力を秘めているそうだ。もし、年頃のお嬢さんがいたら、差し上げてみては、いかがです? それとも、どうでも忘れられない昔の恋人がいれば、旦那ご自身でお持ちになってみるのも良いかもしれませんよ?
 あまりにも馬鹿馬鹿しい話に、父は今度こそ眉をつり上げ、踵を返した。
 離れ離れになった恋人たちを引き合わせるだなんて、これほどロマンティックなことがあるだろうか! 莉彩は父と違って、恋愛小説が大好きな母の血を受け継いでいる。不思議な露天商の話は、いたく莉彩の心を揺さぶった。
 父は陰謀や政争の犠牲になったというお妃の持っていたといういわくのある簪を大切な娘に与えたくはなかったようだが、莉彩は父に無理を言って簪を譲って貰った。
 以来、簪は莉彩の宝物となった。この簪がライラックを象っていると露天商が言ったわけではないけれど、父はこの花の形を見た時、確信したそうだ。莉彩の父は仕事柄、若い頃から日本各地を転勤で回ってきた。莉彩が生まれた頃は丁度、北海道支社にいた。

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