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『春のうつろい』

第9章 春爛漫(はるらんまん)

 5

 ブー、ブー、ブー……

 バッグの中で、スマホ着信バイブが振えていた。

「……………」

 だが、その着信には出ず…
 いや、わたしは黙ってバッグを見つめる。

 その着信は、間違いなく彼、課長から…

 そう…
 もう、あれから二時間が過ぎている。

「あ、で、出ない……んすか?」
 後輩くんは、恐る恐る聞いてくる…

「え………あ…う、うん…」

 そう、出ない…

「………………」

 すると、それ以上は聞かずに…

「そ、それにしても、すっごい人っすよねぇ」
 と、眼下の花見の酔客の様子を見ながら、そう言ってきた。

「え、あ、そ、そうね…」

 ブー、ブ、ブ……………
 そして、着信は切れた。

「みんな、色々、抱えてるんだろうなぁ…」
 そうも、呟いてくる。

「あ、うん………」

 この後輩くんは見た目とは違って、いや、それはあくまでもわたしからの彼への勝手な思い込みであり…
 どうやらこの後輩くんは恋愛関係には長けて…
 ううん、このわたしなんて問題にならないくらいに、色々な男女関係の経験を積んできているみたい。

 だから敢えて、このわたしの、こんな様子に関しては触れてこないのだろう…

 そう、こんなわたしの…
 先の見えない不倫なんてお見通しなのかもしれない…

「あっ…」

 だが…
 彼の左手が、芝生に置いてあるわたしの右手に触れてきたのだ。

 そして…

「せ、先輩………」
 彼の囁き…
 甘い吐息…
 見つめてくる優しい目…

「あ…………」

 その時…
 穏やかで、温い、春の夜風がサーっと吹き…
 わたしの頬を撫でてくる。

 そして、まだ三分咲きにも満たないしだれ桜の細い枝葉が風に揺れ…
 ほのかに甘い、満開のソメイヨシノの香りを運んできた。

「……す、好きっす………」




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