テキストサイズ

君の体温は義務だった

第3章 体温

《ハグを開始してください》

「……じゃ。」
「……はい。」

小さな声で言葉を交わし、俺は一歩、踏み出した。

互いに腕を伸ばし、そっと肩に触れる。
そのまま引き寄せるようにして、抱きしめた。

最初に頭に浮かんだのは、驚くほどの軽さだった。

持ち上げたわけじゃない。
けれど、触れた瞬間に分かってしまった。

思っていたよりずっと細い。
背中に回した腕の中に、華奢な身体がすっとすき間なく収まる。

身長差のせいで少し視線を落とすと、彼の顔がすぐ近くにあった。
その瞬間、ふわっと知らない匂いが鼻腔をくすぐる。

香水のような人工的な華やかさはない。
洗剤の匂いでもない。

もっと近くでしか触れられないような、彼自身の体温の匂い。
甘くも爽やかでもないその香りに、なぜか胸の奥がぎゅっと締めつけられ、同時に、妙なほど緩んでいくのが分かった。

「……あれ。」

思わず声が漏れそうになる。

初対面の男を抱きしめているだけだ。
制度だから、義務だからと割り切っていたはずなのに。

全身の五感が一斉に目を覚まし、「この人だ」と叫んでいるような感覚。
理由なんて分からない。
ただ、腕の中にある確かな体温と、背中越しに伝わってくる小さな呼吸が、狂おしいほどにしっくりきていた。

《残り3秒》

機械的な表示が切り替わる。
あと3秒。

《2》

その時、腕の中の身体が、かすかに震えた。
拒絶の震えじゃない。
まるで、抑えきれない何かが溢れ出しそうな緊張。

《1》

「……。」

《ハグ終了》

規定の時間が終わり、腕を解こうとした。

けれど——解けなかった。

相手が動きを止めていたからだけじゃない。
俺自身も、この温もりを手放すのが惜しくて、すぐには動けなかったんだ。

ぽたり、と。

胸元に小さな何かが落ちた。

「……?」

服の生地にしみ込んでいく、温かい滴。

涙だ。

一滴、もう一滴。
彼は慌てたように顔を背けた。

「……すみません。」
「え。」
「なんか……。」

小さな声が、震えている。

「……すみません。」

泣いている理由が分からない。
痛くしたわけでもないし、嫌悪感からの涙でもなさそうだった。

戸惑いながら彼を見つめる。
赤い目元と、自分でもなぜ泣いているのか分からず怯えているような表情。

胸の深いところが、酷く痛んだ。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ