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君の体温は義務だった

第3章 体温

そして、胸元にぽつりと小さな声が落ちる。

「……あったかい。」
「そう?」
「……はい。」

それだけだった。
俺も、それ以上は何も尋ねなかった。

なぜ泣いていたのか。
どんな傷や過去を抱えているのか。

今はまだ、聞かなくていい気がした。

「……もう、大丈夫です。」

胸元から、消え入りそうな声が聞こえた。

そっと身体が離れていく。

顔を覗き込むと、目元にはまだ薄い赤みが残っていたけれど、その表情はさっきまでの怯えたような硬さが消え、ずっと穏やかになっていた。

「そっか。」
「……ありがとうございました。」
「うん。」

それ以上、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。

回していた腕を完全に解く。
さっきまで触れていた背中の確かな感触と、彼特有の微かな匂いが、まだ名残り惜しく掌と鼻腔に焼き付いていた。

肌が空気に晒された瞬間、個室を満たす空調の風が妙に冷たく感じる。

正面の壁にあるモニターの表示がパッと切り替わった。

《本日のハグは終了しました》
《お気をつけてお帰りください》

「……じゃあ。」
「はい。」

互いに小さく頭を下げ合う。

名前も知らない。
どこで暮らし、どんな日常を送っているのかも知らない。

知っているのは、H-08341という冷たい識別番号だけ。

たぶん、二度と会うことはないのだろう。
HUG+のマッチングはすべてAIが管理している。来月になれば、俺も彼も、またまったく別の誰かとこの個室で向き合うことになるのだから。

そういうシステムであり、そういう世界だ。

俺はスライドドアを開けた。
廊下の無機質で明るい照明が、個室の少し薄暗い空間へとなだれ込んでくる。

一歩、部屋の外へ踏み出した。

そのまま立ち去ろうとして——なぜか胸の奥がざわついて、振り返ってしまった。

彼はまだ、そこに立っていた。
そして彼もまた、じっとこちらを見つめていたんだ。

視線が絡み合う。

ほんの一瞬。
名残を惜しむような、奇妙な沈黙。

俺は言葉代わりに、もう一度だけ軽く会釈をした。
彼も同じように、ちょこんと小さく頭を下げる。

それだけだった。

俺は今度こそ前を向き、足を踏み出す。
静まり返った廊下に、自分の靴音だけが虚ろに響いていた。

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