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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第7章 天上の楽園

う、うわあー」
 とても義禁府の同僚や両親には見せられない、聞かせられない情けない悲鳴が響き渡り、秀龍は叫んだ。
「この、糞猫! また、やりやがったな」
 端整な容貌と優美な物腰の貴公子として知られる皇秀龍の口から出たとは到底思えない下品な悪態である。
 その罵詈雑言にいささかも動じる様子もなく、小虎は素知らぬ顔で堂々と出ていった。
 まるで反乱軍との戦いを終えて、都に凱旋した王さま(イングムニム)のように。

 昼食を食べ終えたばかりの春泉は、小さな吐息をつく。
 何もすることがない。そう言えば、他人(ひと)はさぞ贅沢な悩みだと呆れるだろうけれど、するべきことが一つとしてない、というのも、それはそれで辛いものがある。
 皇家では、春泉は〝若奥さま〟であり、今を時めく右参賛の嫡子秀龍の夫人である。皇家の暮らしぶりは当主才偉の性格からして、けして派手ではなかったが、かといって、それなりの家門の体面と格式を保つだけの暮らしはしなければならない。数え切れないほどの使用人に囲まれた日々は嫌が応にも父千福が生きていた頃の柳家を思い出させた。
 乳母オクタンは若奥さま付きであり、特にこれといった仕事を与えられてはいない。しかし、機転も利き、若奥さまの乳母だからと偉ぶったところのない気さくな人柄か、随分と重宝され、年若い女中たちが何かとオクタンを頼ってくる。
 そのため、ここのところ、オクタンは春泉の傍を離れていることが多くなりつつあった。いつまでも子どもではないのだからと自分に言い聞かせてみても、独りぼっちにされてしまうという淋しさは拭えない。
 せめて、オクタンでもいてくれれば、話し相手になってくれるのにと恨めしく思いながら、春泉は仕方なく刺繍を始めた。が、すぐにつまらなくなって、止めてしまった。
 以前は良かったとつくづく思わずにはいられない。同じ刺繍をするにしても、この刺繍を―自分が心を込めて作り上げた作品を知らない誰かが大切に使ってくれると思うと、自ずとやる気になり、励まされた。
 でも、今は、柳家の広い屋敷にいた頃のように、大きなお屋敷に一日中閉じこもって、何の目的もなく針を漫然と動かしているだけ。

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