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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第9章 哀しい誤解

 何しろ、春泉は料理などあまり作ったことがない。母と二人だけで暮らした二年間は、交替で料理を作ったが、母の方が殆どやってしまって、実は春泉の出る幕はあまりなかった。その点、母は流石に庶民育ちだけあって、家事でも裁縫でもなかなかの腕を持っている。
 父千福が亡くなってからの日々は、母だけではなく春泉をも変えた。柳家ではかつて多くの使用人たちから〝我ががまで情け知らずのお嬢さま〟と呼ばれ、誰も春泉の用をしたがらなかったのに、今は使用人にまで気遣いを示し、親しげに話しかける優しい若奥さまだと彼等からも慕われている。
 春泉が黄粉餅を作ろうと思い立ったのは、昨夜の詫びと礼のためだ。香月のことは別としても、とにかく、折角贈ってくれた花を台なしにしてしまったことは、春泉の方に非がある。
 春泉は小卓を捧げ持つと、ちらりと部屋の飾り棚に眼をやった。その上には青磁の壺に活けられた白牡丹がある。昨夜、秀龍が出ていった後、とりあえず、花を拾い集め、まだ頭のついているものだけを纏めて水に挿しておいたのだ。
 扉を開けて部屋を出ると、廊下を歩いて秀龍の部屋に向かった。
 良人はもう帰っているだろうか。それとも、もう寝てしまっただろうか。
 春泉は秀龍が部屋にいることを祈りながら、廊下を静々と辿った。手前まで来た時、良人の部屋に灯りが点っているのを見たときは、安堵感が一挙に押し寄せてきた。
「旦那さま」
 外から控えめに声をかけると、やや間があって、低い声が返ってきた。
「何か用か?」
「春泉にございます。少しお邪魔しても構わないでしょうか」
 また、沈黙。春泉は少し不安になった。
 やはり、秀龍は自分のことを怒っているのだろうか、もう顔も見たくないと思っているのだろうか。
「入りなさい」
 やっと返事があり、春泉は胸を撫で下ろして扉を開けた。
 元どおりに扉を閉め、小卓を持ったまま訊ねた。
「お帰りになっていたのですね」
 秀龍は何も言わない。上座に座り、文机に向かっている。机の上には分厚い書物のようなものが広げられていた。

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