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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第2章 ひとりぼっちの猫

 あの男にこれ以上拘わってしまったら、きっと自分が自分でなくなってしまう。そうならないためには、このままあの男に逢えないままでいる方が良いのだ、きっと。
 春泉がこれも何度めかの溜め息をつきながら所在なげに立ち上がったまさにその時、部屋の両開きの扉が控えめに開いた。
「お嬢さま」
 顔を覗かせたのは、乳母の玉彈である。
「どうかしたの?」
 手鏡を置いて顔を上げた春泉を見て、玉彈がハッとしたように息を呑んだ。
「何をそんなに愕いているの、私の顔に何かついている?」
 春泉の問いにも、玉彈は眼を見開いたまま応えなかった。
「お嬢さま、お化粧を?」
 ふいに問われた言葉の意味を、春泉は初め、理解できなかった。小首を傾げたまま見つめる春泉に、玉彈が漸く微笑みを見せた。
「何か―言葉で申し上げるのは難しいのですけれど、いつものお嬢さまと雰囲気があまりに違っているので、びっくりしてしまったのです」
 それで、漸く乳母が愕いた理由を悟った。
「そんなにいつもと違っているかしら? 少しお化粧を濃くしてみただけなのに」
 人の好い優しい乳母は慈しみ深い眼で春泉を見た。
「お嬢さま、女人は化粧、衣装といった装い一つでいかようにも変われるものですよ。あの若者―先刻、町で難儀を救ってくれた男の申していたのは、けして出たらめでも間違いでもございません。私もずっと口には出しませんが、同じことを考えておりました。もっと自信をお持ちになって下さいまし、お嬢さま。春泉さまは、どこにお出になってもけして見劣りすることのない美しいお嬢さまでございますよ」
「本当? 本当に玉彈はそんなことを考えていたの」
 なおも信じられない気持ちで訊ねると、玉彈は深く頷いた。
「お嬢さまをお育てしたこの私が胸を張ってそう申すのですから、けして間違いではございませんですよ」
「そう―なの。私が綺麗だと、玉彈はそう言ってくれるのね」
 もちろん、春泉は玉彈の科白をそのまま鵜呑みにしたわけではない。

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