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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第2章 ひとりぼっちの猫

 その日、春泉は部屋に戻り、小虎を腕に抱いて心ゆくまで泣いた。仔猫は新たな飼い主に抱かれたまま、身じろぎもせず大人しく彼女の腕におさまっていた。時折、春泉を慰めるように小さな声でニィと啼くだけだ。
 小虎を抱いていると、小さな腕の中の温もりが傷ついた心を癒やし、ずっと溜まっていた孤独を洗い流してくれるように思えた。
 仔猫の小さな体が信じられないほど小さくて頼りなくて、抱く腕に少し力を込めただけで、壊れそうだ。でも、じっとしていると、トクトクという生命の律動(リズム)を刻む小さな鼓動が伝わってきて、痛々しいほどの脆さのうちに潜む強さ、存在の確かさを感じられた。この小さな体が与えてくれる温もりは春泉の心にまで流れ込み、彼女の奥底で長い間眠っていた温かなものを呼びさましてくれるようだ。
 この腕の中の愛おしいものを守りたい。春泉はこの時、心から願わずにはいられなかった。たかだか猫一匹に何を大仰なと、他人は笑うかもしれないけれど、生まれてからずっと、春泉は誰かに守って貰うだけの人生を生きてきた。
 両親は見向きもしないとはいえ、彼女の周囲には常に大勢の使用人がいて、厠に行くのですら、乳母がついてくるほどの乳母日傘で育てられたのだ。自分は座っているだけで、命令すれば、女中たちが何でも代わりににしてくれる。それは身内の濃やかな愛情からくるものではなく、極めて義務的なものであったかもしれないが、とにかく春泉は産声を上げたそのときから十六年間、あまたの使用人にかしずかれ、ぬくぬくと守られてきたのだ。
 そんな春泉が生まれて初めて、自分以外の存在に眼を向け、それを守りたいと思ったのは大きな変化ではあった。人は自分が守りたいと願う存在を得た時、更に強くなれる。何故なら、強くなければ、大切なものを守ることはできないからだ。 
 雪がすべての物音を吸い取ってしまうのか、春泉の部屋だけが世界から取り残されて
しまったかのように外は森閑としている。このまま、ずっとこの仔猫と二人だけでいられたなら、どんなにか良いだろう。
 春泉は小虎のやわらかな毛並みを撫でながら、十六年間分の涙を流し尽くすかのようにいつまでも泣き続けた。

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