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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第5章 ★ 逢瀬 ★

 介護士の女性が太った身体を揺すって笑う。
「あらま、また名前が変わったの?」
 三鷹が笑いながら説明した。
「お袋がいつも放さないあの人形、あれの名前がセーラだったんだけど、どうやら、今日からユリアに変わったらしいな」
「ユリア、カワイイ、オヨメサン、オヨメサン」
 三鷹の母は少女のような邪気のない表情で繰り返している。
 介護士と三鷹の母に見送られ、二人はクリニックを後にした。帰りの車内では、二人とも口をきくことはなくN町まで帰った。
 由梨亜には、海沿いの静かな町で見た三鷹の母のことが重く心にのしかかっていた。愛のない結婚が一人の女性の心をずたずたにし、再起不能にした。
 三鷹がこれほどまでに恋愛結婚に拘るのも何となく理解できるような気はする。まだ小学生のときから、自分が父親になったら必ず父親参観には出ると決めていた―その話も由梨亜の心を切なく揺さぶった。
 けれど、自分は三鷹の側にはいられない。三鷹が母親を何よりも大切に思っているように、由梨亜にも母がいる。これから先、母の健康については細心の注意を払わなければならない。常に誰がが側にいて支えてあげなければならないのだ。
 そして、今、その役目を果たせるのは娘である由梨亜しかいない。由梨亜が三鷹との結婚を躊躇うのは未知の世界へ脚を踏み入れることへの恐怖と不安、更に母の面倒は自分が見るべきだという娘としての強い責任意識に他ならない。
 その夜、由梨亜は夢を見た。
 由梨亜の眼前には見渡す限り白砂と蒼い海がひろがっている。
 白い波が寄せては返す波打ち際に、一人の女がひっそりと佇んでいた。白いワンピース姿にお下げ髪の女は後ろ姿だけ見ても儚げで華奢な肢体をしている。
 ふいにその女が一歩前へと進んだ。女の白い素足を波頭(なみがしら)が洗う。女は躊躇うこともなく、ひたらす足を動かし前へと進んでゆく。
―駄目ッ。それ以上進んでは、溺れてしまう。
 由梨亜は声を限りに叫び、追いかけようとしたが、奇妙なことに両手両脚を縫い止められたように動けない。
 と、海に向かって歩いていた女がつと振り返った。

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