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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第6章 ★Sadness~哀しみ~★

 S物産の自動ドアが開き、数人の社員が出てくる。先頭を歩くのはまだ若い男だ。明るいグレーのスーツを颯爽と着こなした、いかにもエリート風の美男である。そのすぐ背後を秘書らしき中年の社員が歩き、更にその後に七、八人の社員が続く。歳はまちまちで年配の男もいれば、若い女子社員の姿も見られた。
 秘書を除いた後の社員たちは玄関を出てすぐのところで立ち止まり、二列に並んだ。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいませ」
 よく躾けられた子どものように、彼等は声を揃えて最敬礼した。まだ若い先頭の男はかなりの地位にあるようだ。
 それは男の風貌からもすぐに推測できた。仕立ての良いスーツに包まれた身体はほどよく筋肉がつき、精悍でありながら洗練された知的な物腰が窺える。ボルドーのネクタイをきっちりと締め、いかにも有能なビジネスマンの典型といえた。
 圧倒的な存在感は生まれながらにして他人に命令を下すことに慣れた者だけが持つものであり、更に、天賦の優れた資質ゆえのカリスマ性が彼の全身から滲み出ていた。この若い男が企業で重要な役職についている―もっと端的にいえばトップであることくらいは由梨亜にも判る。だてに六年もOLをしていたわけではないのだ。
 由梨亜はいつしかふらふらと前に歩いていた。少し歩いたところで、ビルから出てきたばかりの一行と遭遇することになるのは当然であった。
 由梨亜は若きカリスマ経営者を茫然と見上げた。彼女のアーモンド形の黒い瞳が揺れ、涙が白い頬をすべり落ちていった。
「―由梨亜」
 三鷹の口から吐息のように洩れた名前に、彼女はビクリと反応した。
 何故?
 どうして、私の三鷹さんがこんな場所にいるの?
 冷静で感情に流されない男。
 瀕死のニューヨーク支社を建て直し、更に本社に戻って半年で経営を赤字から黒地に転じさせつつある奇蹟の男。
 誰からも畏怖される若きカリスマ経営者は、ミラクル・プリンスと呼ばれている。
「由梨亜ちゃん、待って」
 三鷹が背後で叫んだが、由梨亜は泣きながら走った。涙が七月の乾いた空気に散ってゆく。ほどなく背後から手首を強く掴まれた。

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