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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第6章 最初の任地

 凛花は吏房の鋭い視線に一瞬気圧されそうになった。漢(ハ)陽(ニヤン)を出て最初の任地であるこの先の村に辿り着くまでの間、女だと見破られたことは一度たりともなかったのだ。
 しかし、この吏房だという男の眼には、嘘やまやかしなど一切通じない眼力とでもいうのか、事の真贋を見分ける力が潜んでいるような気がしてならなかった。
 吏房は何か言いたげに凛花を見つめている。が、吏房が何かを言う前に、ヘジンと呼ばれた娘が口を開いた。
「吏房さま、それに、旅のお方、危ないところをお助け頂き、本当にありがとうございました」
 凛花は極上の笑みを浮かべ、娘に向き直った。先刻の悪党どもの言い分ではないが、旅の途中、凛花は〝女遊びに金を使いすぎて親に勘当を言い渡された下級両班の極道息子〟という触れ込みで通していた。
 確かに、泊まった簡素な宿屋では年増の女将から秋波を送られたし、宿のない農村で一夜の宿を借りたときには、
―いかにも苦労知らずの放蕩息子のようだな。その優男ぶりが気にくわねえ。うちの娘には絶対に手を出すな。たとえ両班の倅であろうが、もし娘を傷物になんかしやがったら、叩き殺してやるぞ。
 と四十年配の父親に随分と警戒されたこともある。もっとも、肝心の娘は大喜びで凛花の世話を焼いてくれ、夜半には物置で眠る凛花の許に忍び込んできて、何とか宥めて追い返すのに苦労したが―。その意味では、凛花の変装は見事に成功していると言って良い。
 吏房の視線が秘密に勘づいているように思えるのは、凛花の杞憂にすぎないだろう。
 凛花は心を落ち着かせるべく自分に言い聞かせた。とにかく、この女殺しの微笑一つで、旅の途中で出逢った女たちは凛花を心底から男だと信じ込み、親身に世話を焼いてくれたのだ。
「いや、たいしたことはではありませんよ。あなたのような美しい方が酷い目に遭うのを見るなど、男としての義憤に到底耐えられません」
 いささか大仰にも思える言葉を返すと、ヘジンを庇うようにスと若者が横に居並んだ。
「どこの若(トル)さま(ニム)かは存じませんが、ありがとうございます」
「いや、たいしたことではありません」
 相変わらず調子の良い声で凛花が言うのに、若者は警戒を露わにしている。

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