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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第1章 騒動の種

 しかし、
―そなたに惚れたのだ。
 そう告げられたときの眼は、けしてその場の思いつきやからかい半分で口にしているものではなかった。
 逆に、あまりにも真剣すぎて、かえって怖いと思うほどである。
 仮に、あの男が思い通りにならない凛花に苛立ち、凛花を亡き者にしようとしても、それはそれで仕方ない。自分の身ならば、どうなっても良い。だが、文龍が自分のために危害を加えられるようなことだけは絶対にあってはならないのだ。
 かといって、自分に何ができるというのだろう? 
 凛花は重い息を吐き出し、ゆっくりと歩き出した。心は鉛を呑み込んだかのように重く沈んでいる。ほんの一刻前、意気揚々と屋敷を抜け出したときの高揚した気分が嘘のように思えた。

 その日、皇文龍はいつものように義禁府に出仕していた。現在、文龍は従五品都(ト)事(サ)に任じられている。かつて文龍の父秀龍もまた義禁府の様々な官職を歴任し、ついには義禁府長と兵曹判書を兼ねるまでの地位に昇った。
 今は勤務先を兵曹から礼曹に替えたが、若い砌と変わらず国王殿下に忠勤を励んでいる。
 夕刻、西の空に茜色の雲がたなびき始める刻限になると、王宮内のあまたの殿舎の甍が黄金色(きんいろ)に輝く。その日も、文龍は定時で勤めを終え帰路についた。もっとも、いつもこのように早くに帰れるわけではなく、というより、この時間に帰宅できる方がむしろ珍しい。
 義禁府は重罪人を王命によって捕縛し、取り調べる機関である。従って宮殿に詰めての事務仕事よりは町に出て極秘調査に従事する方が多いほどなのだ。
 文龍が義禁府を出て殿舎と殿舎を繋ぐ石畳を歩いていたときのことである。向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影が映じた。朝廷の臣下は皆、朝服―つまり制服が定められている。上から位階によって紅、蒼、緑という風に決められており、まだ中級武官にすぎない文龍は蒼色の官服着用を義務づけられていた。

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