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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第1章 騒動の種

「そなた、私が何者なのかを訊ねないのか?」
「訊ねる必要があるのか」
 文龍も敢えて敬語は使わなかった。
「仮にも同じ女をめぐって恋の鞘当てを演じる者同士だ。互いの名くらいは知っておいても良かろう」
 平然と断じる男に、文龍の眼がわずかに細められた。
「それは一体、どういう意味だ?」
「申凛花、なかなか良い女だ。顔立ちも美しいが、膚も透き通るように白い。身体も抱き心地が良さそうだな」
「―止めろ」
「私は凛花のような女を探していた。あの女は、私の心の闇を照らし、虚ろな穴を満たしてくれる。私の氷のような心を凛花は焔のような熱さで溶かすのだ。あのような情熱的な女を私は知らない。恐らく閨でも、さぞかし情熱的にふるまうのであろうよ」
「止めろと言ったはずだ!」
 文龍が怒鳴った。
「たとえ言葉だけでも、凛花を侮辱するのは許さない」
 怒りに燃える眼を向けた文龍に、男がフと笑った。
「なるほど、流石は生真面目で知られる皇秀龍(ファンスロン)の息子だけはある、か。その歳で、まさか女の一人も知らぬとは言わないだろうな」
 馬鹿にしたような響きの後、男は依然として癇に障る薄ら笑いを浮かべたまま続けた。
「さりながら、そなたの親父どのは、そなたほど堅物ではない、いや、むしろ、天下の名妓と謳われる妓生傾城香月(ヒヤンオル)と派手な浮き名を流したほどの方だ。当代一の好き者ともいえような」
「貴様(イノン)、許婚者だけでなく、私の父までもを辱めるつもりなのか。香月と父との関係は世間で噂されるような下卑たものではない」
「ホホウ、大の男が色香溢れる妓生の許に熱心に通い詰めていて、それがただの茶飲み友達だとでも言うのか? そなたの母上(オモニ)は実に気の毒なことだ。母上が亡くなられた後も、秀龍どのは脚繁く翠(チェイ)月(ウォル)楼(ヌ)に登楼して香月と濃密な時間を過ごしているというではないか」
 文龍は拳を握りしめた。
 確かに父は母が健在であった頃から、妓生香月の許に通っていた。しかし、文龍は
―若くして亡くなった私の友人の妹なのだ。
 という父の言葉を信じていた。

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