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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第1章 騒動の種

 陰謀によって陥れられた香月の父や兄亡き後、面倒を見ているにすぎない間柄なのだと父は主張している。母も香月の存在は特別なものだと納得していて、香月とは知り合いでもあるらしく、よく父と母の会話には香月の名が登場していたものだ。
 何故か、母の香月を語るときの口調はひどく懐かしげであったことまで憶えている。
「ま、そなたの父のことは、この際、どうでも良かろう。だが、あまりに綺麗事ばかり並べ立てていては、大事な許嫁を奪われるぞ? 正義感をふりかざすだけでは、この世の中は渡ってゆけぬからな。謹厳だと言われながらも、妓生と派手な醜聞を流した親父どのを見習い、もっと器用に立ち回ってはどうだ?」
 父秀龍は、文龍にとって誇りであった。国王の信頼も厚い忠臣中の忠臣と謳われ、いずれは三政丞(チヨンスン)にまで昇るとまでいわれている。身分によっていたずらに人を差別せず、屋敷の家僕にですら気さくに話しかけた。その上、武術の腕は武官一といわれ、二十代で科挙に合格した際は、首席合格だったというほどの英才・俊才として名を馳せた。
「おのれ、貴殿はこうまで申しても、我が父を愚弄するか」
 文龍が腰に佩(は)いた長剣に手をかける。今にも刀を抜きそうなその勢いにも、男はいささかも動じない。
 何者なのだ、この男は。
 文龍は相手の本心を見抜くように、じいっと見つめた。その時、ふと男の瞳に隙が生じた。
 幼い頃、剣の稽古をつけて貰う時、父はよく言っていたものだ。
―まずは対峙する相手の眼を見つめるのだ。いかなることがあっても、けして眼を先に逸らせてはならぬ。瞳を覗けば、大抵の者は本心を現す。幾ら落ち着いて見えようと、内実は狼狽えておるかもしれぬし、反面、取り乱しているように見せかけて、実は冷静にこちらの様子を窺っているのかもしれない。勝つためには、まず相手の状態を正しく見極めることだよ。
 男がふっと視線を逸らした。
 文龍は静かな声音で問うた。
「これだけの貴重なるご意見を拝聴したからには、せめて貴殿の名を知りたい」
 その瞬間、相手の男が辛うじて体勢を立て直したのが判った。
 男はわずかに眼をまたたかせてから、幾度も頷いた。

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