テキストサイズ

山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第9章 生まれ変わる瞬間

「本当にこれで良かったのか?」
 湖を眺めていた凛花は振り向いた。
 玻璃湖の上に今日も雪が降っている。
 前任の県監趙尚凞が重罪人として都へ護送されてからひと月が経った。
 暦は三月に入っている。北のこの地方に本格的な春が訪れるのはまだ少し先のことだ。それでも、あとひと月も待てば、今は凍った湖も少しずつ春のやわらかな陽光に抱かれ、溶け始める。
 この地方の民は誰もが春を待ち焦がれながら、長い冬を過ごすのだ。だが、明けない夜はないように、冬の次には必ず春が来る。
 それが判っているからこそ、厳しくて辛い冬にも耐えられる。 
「お前は亡くなった恋人の夢を受け継いだのだと言った。ここで任務を降りることは、その大切な夢を諦めることにはならないか?」
 インスの瞳はどこまでも真剣だ。皮肉でこんなことを言うような男でないことは、凛花が誰よりもよく知っている。
 インスは凛花の心を思いやっているのだ。この先、〝皇文龍〟であることを止めた―そのことを後悔する日が来るのではないか、そう言っている。
 凛花は再び湖に視線を向けた。
「漢陽の家族には文をしたためた。私の父と文龍さまの父上だ。今の私の気持ちも余さず書いておいたから、きっと判って下さると思う」
 勝手な願いだとは判っていた。自分から文龍として生きさせて欲しい、文龍の代わりに暗行御使として彼の果たせなかった志を果たしたいのだとなどと偉そうなことを口にしながら、あっさりと御使としての〝任務〟を放棄するのだから。
 もしかしたら、文龍の父皇秀龍は、凛花を随分と良い加減な人間だと失望するかもしれない。だが、これが凛花が考え抜いて出した結論であった。
「お前はよくやったよ」
 凛花の心を推し量ったように、インスが言った。
「そんなことはないわ。インスや村長、それに役所の皆の協力があったからこそできたことよ。私一人では、とてもあの県監には太刀打ちできなかった」
 凛花が思い出したように笑った。
「実は、あのときは相当焦ったの」
「あのときって、趙尚凞がお前を女だと役所の連中の前で公言したときか?」
 インスに振られ、凛花は頷いた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ