テキストサイズ

山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第2章 もみじあおいの庭

 何も言わない文龍に、ソクチェが〝おや〟というような表情になる。
「もしかして、凛花と喧嘩でもしたのか?」
 そのような他愛ない問題であれば、どんなに気が楽なことか。しかし、今、状況を直截に告げても、ただ人の好いだけのソクチェを心配させるだけだ。
「まあ、夫婦喧嘩は犬も食わないと昔から申すから、喧嘩も仲の良い証拠だと思えば良い。若いときには、とかく意地を張りやいすものだが、時には素直になることも必要だ。いっときの度を越えた強情が取り返しのつかない―」
 何やら見当違いな説教が始まりそうになり、文龍は慌てて言った。
「義父上、凛花の様子が気になることでもあり、今宵はこれにて失礼致します」
 得意の長口舌を中断されたソクチェがやや不満そうに唸った。
「そ、それもそうだな。なかなか逢える時間がないと、昨夜も凛花が零しておった。全く、今時の若い者ときたら、独り身の父親の前で平然とのろけおって」
 まだぶつぶつと独りごちているソクチェを後に、文龍は頭を下げて辞去した。
 舅どのは滅法なお人好しだが、説教くさい大演説が得意で、しかも当人は、周囲の迷惑を顧みない。一度始めたら、何時間でも続くという傍迷惑な代物である。
 文龍は、この愛すべき舅に心からの敬愛を寄せている。常に沈着で何を考えている判らない底の知れぬ人物―と言われている実の父よりもはるかに近寄り易かった。
 まさに、義父と実父、対照的な二人であった。

 凛花は手にした貝殻からもうひと掬いだけ、紅を指に乗せる。鏡を覗き込みながら、慎重な手つきで唇に塗ってゆく。
 おかしい、どこかが違う。
 凛花は小首を傾げ、もう一度、鏡を覗く。更に布で白粉(おしろい)を重ねづけしてみた。
「ああ、これでは顔が真っ白。まるでお化けだわ」
 凛花が悲鳴のような声を上げる。
「それに、紅も濃すぎるみたい。真っ赤な口をしていたら、文龍さまが変だとお思いになるに決まっている。これでは、人を喰らったばかりの鬼ではないの」
 紅も白粉も足さなければ良かった。
 紅の入った美しく彩色された貝殻を放り出し、凛花は投げやりに言った。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ