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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第2章 もみじあおいの庭

 ナヨンはまだ若いのだ。仮に執事の息子と結婚すれば、ゆくゆくは執事の妻として申家の奥向きを取り締まる大切な役目を担うことになるだろう。機転のきくナヨンなら、どこでも上手くやってゆくには違いないが、勝手の違う皇家で新参の女中扱いされるよりは、慣れ親しんだ申家にいる方がナヨンには数倍良いはずであった。
 ナヨンがこれまでにも自分より凛花の幸せを考えてくれてきたように、凛花もまた自分の我が儘を通すより、ナヨンの幸せになる道を考えたい。それが、凛花を大切に育ててくれた乳母に報いることでもあるはずだ。
 また、ナヨンが申家に残ってくれれば、凛花も安心して父を残して嫁げるともいうものである。
 しょっ中、屋敷を抜け出すお転婆な凛花のために、ナヨンは気の休まる暇がない。十日前には、ナヨンの眼を掠め一人で町に出て、帰ってきたら、物凄く怒られた。
―お嬢さまに何かあったら、私はもう生きてはいられません。亡くなった母にどう言い訳したら良いんですか?
 と、泣き出す始末で、凛花はナヨンに死ぬほどの心配をさせたことを後悔した。
 そんなナヨンにこれ以上の心配はかけられない。万が一にも、これから文龍にあの日のことを打ち明ける段になったとしたら、ナヨンは自分のいない間に凛花が災難に巻き込まれたと知り、また我と我が身を責めるだろう。
 黙って屋敷を抜け出した凛花が悪いのに、凛花を一人で行かせた自分のせいだと思うに違いない。ナヨンは、そういう娘なのだ。
 もっとも、あの日、ナヨンが一緒でなかったのは幸いであったと今更ながらに思わずにはいられない。
 つまり、一人で町に出かけたあの日、凛花が遭遇した出来事をナヨンは知らないのだ。
「それよりも、文龍さまの方がお疲れのご様子なのが気になります。ご公務がそれほどまでに大変なのですか?」
 凛花が文龍の顔を覗き込むようにして訊ねると、文龍は虚を突かれたように怯んだ。
 こんな反応を見せた文龍は初めて見る。その違和感に戸惑いつつも、凛花はもう一度、繰り返す。
「代わりのきかない大切なお身体です。お勤めも大切なのは判りますが、どうかお身体を労って下さい」
 私のためにもと言いたい気持ちをぐっと堪え、凛花は文龍を見つめた。

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