山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~
第2章 もみじあおいの庭
あれは血の色。禍々しい血の色だ―。
傍らの文龍が訝しげに問うてくる。
「どうした? 眼にゴミでも入ったのか」
凛花は首を振った。
「ええ。どうも、そのようです」
凛花は応え、もう一度、月を見る。
円い月は何事もなかったかのように、黄味餡のような色に染まっていた。
そういえば、幼い日に添い寝をしながら乳母が語ってくれたのは、あれは美しい月の話であった。
―あまりにも美しすぎるものには魔が潜んでいると昔から申しますよ、お嬢さま。
例えば、この世のものとも思えぬほど美しい満月が曼珠沙華の色に染まって見えるときは、近々、大きな禍が起こる凶兆だ。美しいものに潜む類稀な美貌を持つ魔の者が知らせにくるのだ。
乳母は、確かにそう言っていた。
曼珠沙華といえば、もみじあおいと同じくこの季節に花開く秋の花である。あの頃は幼すぎて、あまりあの言葉の意味を深く考えたこともなかったけれど、曼珠沙華の色は間違いなく死人の色、死を意味する真っ赤な血の色だ。
もみじあおいが夜陰にひっそりと咲いている。いつもは大好きな花の色までが曼珠沙華と同じ鮮血の色に見えてくる。
凛花は思わずクラリと軽い眩暈を憶えた。
「凛花?」
文龍がすかさず脇から支えてくれたお陰で、凛花は無様に縁廊から転落せずに済んだ。いや、まともに落ちれば、大怪我どころでは済まないかもしれない。
「大丈夫なのか? 今夜は色々なことが一度にありすぎて、疲れたのだろう。もう夜も遅い。私もそろそろお暇するゆえ、そなたは床(とこ)に入って、ゆっくりと寝みなさい」
文龍の声が遠くから聞こえるような気がした。
そう、今夜は延びに延びた文龍と凛花の祝言の日がついに決まった夜だ。めでたいはずの夜なのに、何ゆえ、よりにもよって満月が一瞬でも血の色に染まって見えたりしたのだろう―。
いや、文龍の言うように、自分は多分、疲れているのだ。そのせいで、ありもしない幻覚を見たにすぎない。
そう我が身に言い聞かせながらも、凛花の耳に幼い日に聞いた乳母の声が響く。
傍らの文龍が訝しげに問うてくる。
「どうした? 眼にゴミでも入ったのか」
凛花は首を振った。
「ええ。どうも、そのようです」
凛花は応え、もう一度、月を見る。
円い月は何事もなかったかのように、黄味餡のような色に染まっていた。
そういえば、幼い日に添い寝をしながら乳母が語ってくれたのは、あれは美しい月の話であった。
―あまりにも美しすぎるものには魔が潜んでいると昔から申しますよ、お嬢さま。
例えば、この世のものとも思えぬほど美しい満月が曼珠沙華の色に染まって見えるときは、近々、大きな禍が起こる凶兆だ。美しいものに潜む類稀な美貌を持つ魔の者が知らせにくるのだ。
乳母は、確かにそう言っていた。
曼珠沙華といえば、もみじあおいと同じくこの季節に花開く秋の花である。あの頃は幼すぎて、あまりあの言葉の意味を深く考えたこともなかったけれど、曼珠沙華の色は間違いなく死人の色、死を意味する真っ赤な血の色だ。
もみじあおいが夜陰にひっそりと咲いている。いつもは大好きな花の色までが曼珠沙華と同じ鮮血の色に見えてくる。
凛花は思わずクラリと軽い眩暈を憶えた。
「凛花?」
文龍がすかさず脇から支えてくれたお陰で、凛花は無様に縁廊から転落せずに済んだ。いや、まともに落ちれば、大怪我どころでは済まないかもしれない。
「大丈夫なのか? 今夜は色々なことが一度にありすぎて、疲れたのだろう。もう夜も遅い。私もそろそろお暇するゆえ、そなたは床(とこ)に入って、ゆっくりと寝みなさい」
文龍の声が遠くから聞こえるような気がした。
そう、今夜は延びに延びた文龍と凛花の祝言の日がついに決まった夜だ。めでたいはずの夜なのに、何ゆえ、よりにもよって満月が一瞬でも血の色に染まって見えたりしたのだろう―。
いや、文龍の言うように、自分は多分、疲れているのだ。そのせいで、ありもしない幻覚を見たにすぎない。
そう我が身に言い聞かせながらも、凛花の耳に幼い日に聞いた乳母の声が響く。