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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第3章 策謀

  策謀

 宮殿の夜は存外に明るい。広い王城内では、随所で篝火が焚かれ、夜を徹して赤々と闇を照らす。見回りの兵士たちが定時に巡回し、不法な侵入者や怪しい者などがいないかを厳重に確認している。
 しかし、やはり殿舎と殿舎の間の狭い通路や人気のない場所など、ところによっては闇と闇が重なり合い、更に深い闇を作っている。なるほど、その深すぎる闇をじいっと見つめていると、闇が凝(こご)って人の形を取り始めるように見えなくもない。
 宮城には、幾多の政変や陰謀で陥れられ、無実の罪を着せられ犠牲になった人々の魂がさまよっている。その数は殿舎の壮麗な甍の数よりも多いとさえ謂われているのだ。
 王宮に伝わる怪談も寝ぼけた内侍(ネシ)や女官たちの見間違いだろうが、無念の死を遂げたあまたの犠牲者の怨念があちこちに漂っていると考えれば、満更、その中の一つくらいは真実であるかもしれない。
 今、皇文龍はとある殿舎の床下に蹲っていた。この殿舎は、かつては無念の死を遂げた国王の妃、陳(チン)貴人(キイン)の住まいであった。今は棲まう人もおらぬ空き部屋ばかりとなり、昼間でも森閑と静まり返っている。
 考えてみれば、陳貴人も王宮という伏魔殿で怖ろしい謀の犠牲となった一人である。王妃と貞嬪の共謀によって、毒を飲まされ、折角授かった国王の御子を流産させられた挙げ句、当人の貴人も亡くなったのだ。
 文龍の調べでは、貴人は間違いなく毒を飲まされていた。貞嬪の手先となって動いた女官が自ら証言したのだから、間違いはない。
 貞嬪の命で、確かに貴人の膳に毒を混入させた、と。第一、呪いだけで胎児を流産させたり、人を殺したりできるはずがない。
 怖ろしいのは人の怨念ではなく、怨念に突き動かされて悪に―殺人に手を染めてしまうことだ。文龍は常日頃からそう思っている。憎むだけでは、人は殺せない。しかし、殺したいと思うほど憎んだその時、人は時として怖ろしい殺人鬼にもなる。
 恐らく誰の中にも、人を憎む心は存在するだろう。しかし、世の中の大部分の人は幾ら嫌いな相手でも、実際に殺すところまではゆかない。ただ、心で相手を憎むだけだ。鬼になるかどうかは、憎悪の烈しさで決まるのではなく、むしろ、ふっとした隙に心に魔が囁きかけるのではないか。

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