山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~
第3章 策謀
お前の欲しいものを手に入れるためには、あやつを殺せ。あやつさえいなくなれば、邪魔者はいなくなり、欲しいものは手に入るだろう。
魔の声に唆され、ごく平凡な人間がある日突然、豹変し殺人鬼になる。
義禁府に勤務してきた文龍は、そんな人たちを数多く眼にしてきた。自ら捕らえ、尋問した罪人たちの大半は、根っからの極悪人ではなく、むしろ、平凡な人間だった。しかし、何かの拍子に魔の囁きに負けて、自らの手を血の色に染め、罪を犯したのだ。
一旦、罪に染まってしまえば、後はただ堕ちてゆくだけだ。と、これも文龍は経験で知っている。人を殺したいほど憎むことと、現実に殺人を犯すことは全く別で、両者の間には大きな壁がある。それが理性というものだ。
しかし、ひとたび立ちはだかる壁を越えて向こうに行ってしまえば、人はもう悪事に手を染めることに何の躊躇いもなくなってしまう。つまり、一人殺すのも二人殺すのも同じこと―そういう心理だ。中には、殺人によって残忍な歓びを得ることを憶え、快感を得たいがために敢えて二度、三度と罪を犯す者もいた。そうなると、最早、正気とは言い難い。
いや、一人にせよ二人にせよ、他人の生命を奪うことの理不尽さを忘れたときから、既にその者は正気を手放しているのだろう。
文龍は腰に佩いた長剣に触れた。今夜は義禁府の正式な制服ではなく、ごく動きやすい兵士としての服装である。簡素な上衣とズボンの上に略式の鎧を付け、頭には翡翠の玉の塡った頭飾りを巻いている。
剣の柄に付けた飾りに触れ、文龍はハッとした。獣の瞳を思わせるかのように光る筋の入った茶褐色の玉に長い白房が下がっている。
―これは虎目石(タイガーアイ)だそうです。ご武運だけでなく、文龍さまご自身の身をも守ってくれる強い石ゆえ、必ず肌身離さず身につけておいて下さいませ。
去年の秋、凛花がそう言って文龍に贈ってくれたものだ。
―凛花。
文龍は、しばし勤めのことも忘れ、愛しい恋人に想いを馳せる。
泣き虫で、お人好しで、正義感の人一倍強い許嫁は、どこか自分に似ているかもしれない。考えてみれば、自分たちは似た者同士だ。
文龍自身も回りからは落ち着いていると思われているようだが、危険を顧みず義憤に駆られて行動してしまうことが結構多いのだ。
魔の声に唆され、ごく平凡な人間がある日突然、豹変し殺人鬼になる。
義禁府に勤務してきた文龍は、そんな人たちを数多く眼にしてきた。自ら捕らえ、尋問した罪人たちの大半は、根っからの極悪人ではなく、むしろ、平凡な人間だった。しかし、何かの拍子に魔の囁きに負けて、自らの手を血の色に染め、罪を犯したのだ。
一旦、罪に染まってしまえば、後はただ堕ちてゆくだけだ。と、これも文龍は経験で知っている。人を殺したいほど憎むことと、現実に殺人を犯すことは全く別で、両者の間には大きな壁がある。それが理性というものだ。
しかし、ひとたび立ちはだかる壁を越えて向こうに行ってしまえば、人はもう悪事に手を染めることに何の躊躇いもなくなってしまう。つまり、一人殺すのも二人殺すのも同じこと―そういう心理だ。中には、殺人によって残忍な歓びを得ることを憶え、快感を得たいがために敢えて二度、三度と罪を犯す者もいた。そうなると、最早、正気とは言い難い。
いや、一人にせよ二人にせよ、他人の生命を奪うことの理不尽さを忘れたときから、既にその者は正気を手放しているのだろう。
文龍は腰に佩いた長剣に触れた。今夜は義禁府の正式な制服ではなく、ごく動きやすい兵士としての服装である。簡素な上衣とズボンの上に略式の鎧を付け、頭には翡翠の玉の塡った頭飾りを巻いている。
剣の柄に付けた飾りに触れ、文龍はハッとした。獣の瞳を思わせるかのように光る筋の入った茶褐色の玉に長い白房が下がっている。
―これは虎目石(タイガーアイ)だそうです。ご武運だけでなく、文龍さまご自身の身をも守ってくれる強い石ゆえ、必ず肌身離さず身につけておいて下さいませ。
去年の秋、凛花がそう言って文龍に贈ってくれたものだ。
―凛花。
文龍は、しばし勤めのことも忘れ、愛しい恋人に想いを馳せる。
泣き虫で、お人好しで、正義感の人一倍強い許嫁は、どこか自分に似ているかもしれない。考えてみれば、自分たちは似た者同士だ。
文龍自身も回りからは落ち着いていると思われているようだが、危険を顧みず義憤に駆られて行動してしまうことが結構多いのだ。