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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第1章 騒動の種

 自分よりか弱いはずの女に物の見事にやっつけられた―、その事実に対する衝撃よりも怒りの方が漸く凌駕したということか。
 屈辱と怒りにわなわなと身体を震わせる男がおもむろに顎をしゃくる。背後に控えていた従者が再び進み出て、袖から巾着を出した。
 女将が従者から巾着を受け取るのを見守り、凛花は頷く。
「これで良いですか?」
 女将(チユモ)が巾着を押し頂き、幾度も頷く。
「ありがとう(コマ)ござい(スニ)ます(ダ)、情け深く、お優しいお嬢さま」
 女将はくどいくらい同じ科白を繰り返した。
 凛花はナヨンに言った。
「行きましょう。もう、ここに用はないわ」
 惚けたように立ち尽くす男を後に、凛花はさっさと見世を出た。幾ら屑のような男でも、自尊心というものがある。見世にに残してきたからといって、これ以上の無体はしないだろう。
 凛花主従のいなくなった後、従者が控えめに声をかけた。
「若さま。あの女、このまま行かせても良いのですか?」
「あのような女、これまで見たことがない。大概の女は右議(ウイ)政(ジヨン)の父上(アボニム)の名を出せば、私に気のある素振りをし、私の気を惹こうとする。だが、あの娘は大人しくなるどころか、顔色一つ変えぬ。―気に入った」
 男が昏(くら)い笑みを浮かべる。
「あの娘を何としてでも、手に入れたい。確か左副承旨(チヤブスンジ)の娘だと申していたな。あの娘の身辺について探るのだ、良いな」
「心得ました」
 忠実な猟犬を思わせる従者が畏まって頭を垂れた。
そんな取り沙汰がされているとも知らない凛花は何事もなかったかのように、平然と町の往来を闊歩していた。
「もう、お嬢さまったら。お側で見ている私の方が寿命が縮まりそうでしたよ」
 ナヨンが恨めしげに見つめてくるのに、凛花は笑った。
「ごめんね。そなたに心配をかけたくはなかったけれど、どうしても放っておけなかったの」
「それは―私も見ていて、本当に腹の立ついけ好かない奴らでしたけど」
 ナヨンが頷く。

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