山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~
第4章 暗闇に散る花
愛しい女を哀しませるわけにはゆかないのだ。
文龍は静かな覚悟を秘め、刀に手をかけたまま用心深く前方を見つめる。かれこれ、この場所でもう数時間は待っている。
文龍がひそかに身を潜めているのは、小さな筆屋の傍であった。この店は、商いをやっているのは朝から夕刻までで、陽が落ちる時刻になると、主人は戸締まりをして帰る。さほど遠くない場所に自宅があり、そこから通ってきているのだ。
ゆえに夜間は全くの無人になり、文龍が潜伏するには好都合だ。任務に失敗は許されない。というより、失敗は即ち死を意味する。最悪の事態を招かないためにも、入念な事前の調査で、この界隈の地理は虱潰しに調べ上げ、頭に叩き込んである。
待つこと自体は何ほどでもない。隠密としての調査は何よりも忍耐と適切な判断力が必要とされる。
が、待つ間でもなかった。往来の向こうから、闇の底を這うかすかな音が響いてくる。
「来たな」
文龍は呟き、刀を持つ手に力を込めた。
ガラガラと聞こえてくるのは、間違いなく荷車の車輪が回る音。
ここから遠くない場所に、仲間がもう一人、待機している。文龍は指を唇に当てると、ホーホーとミミズクの啼き声を真似た。
淋しげな啼き声が夜陰をふるわせてゆく。
ほどなく、ホーホーとこれもミミズクにそっくりな啼き声が返ってきた。文龍と組んで任務に当たる相棒との間で決めている合図であった。
義禁府の極秘調査では、大抵、二人から数人の少人数単位で動く。あまりに大人数だと偵察側に気づかれる怖れがあるからだ。相棒は殆どの場合、決まっていて、各組によって合図の仕方は違う。文龍たちが夜はミミズク、昼間は鳥の啼き声を真似るように、ある組では犬の遠吠え、猫の鳴き声を使っている。いずれにしても、その合図だけで、敵か味方を判別できる便利な代物ではある。
やがて、闇の中から荷車が現れた。雇われたらしい労働者風の屈強な男たちが車を引き、前後左右を内官たちが守るように固めている。皆、官服ではなく私服だが、あれは間違いなく内官たちだ。
荷車を引く音が真っ暗な底なしの闇をかすかに震わせている。文龍には、それが今にも逝こうとする死者を黄泉路から迎えに来た死の馬車の音にも聞こえた。
文龍は静かな覚悟を秘め、刀に手をかけたまま用心深く前方を見つめる。かれこれ、この場所でもう数時間は待っている。
文龍がひそかに身を潜めているのは、小さな筆屋の傍であった。この店は、商いをやっているのは朝から夕刻までで、陽が落ちる時刻になると、主人は戸締まりをして帰る。さほど遠くない場所に自宅があり、そこから通ってきているのだ。
ゆえに夜間は全くの無人になり、文龍が潜伏するには好都合だ。任務に失敗は許されない。というより、失敗は即ち死を意味する。最悪の事態を招かないためにも、入念な事前の調査で、この界隈の地理は虱潰しに調べ上げ、頭に叩き込んである。
待つこと自体は何ほどでもない。隠密としての調査は何よりも忍耐と適切な判断力が必要とされる。
が、待つ間でもなかった。往来の向こうから、闇の底を這うかすかな音が響いてくる。
「来たな」
文龍は呟き、刀を持つ手に力を込めた。
ガラガラと聞こえてくるのは、間違いなく荷車の車輪が回る音。
ここから遠くない場所に、仲間がもう一人、待機している。文龍は指を唇に当てると、ホーホーとミミズクの啼き声を真似た。
淋しげな啼き声が夜陰をふるわせてゆく。
ほどなく、ホーホーとこれもミミズクにそっくりな啼き声が返ってきた。文龍と組んで任務に当たる相棒との間で決めている合図であった。
義禁府の極秘調査では、大抵、二人から数人の少人数単位で動く。あまりに大人数だと偵察側に気づかれる怖れがあるからだ。相棒は殆どの場合、決まっていて、各組によって合図の仕方は違う。文龍たちが夜はミミズク、昼間は鳥の啼き声を真似るように、ある組では犬の遠吠え、猫の鳴き声を使っている。いずれにしても、その合図だけで、敵か味方を判別できる便利な代物ではある。
やがて、闇の中から荷車が現れた。雇われたらしい労働者風の屈強な男たちが車を引き、前後左右を内官たちが守るように固めている。皆、官服ではなく私服だが、あれは間違いなく内官たちだ。
荷車を引く音が真っ暗な底なしの闇をかすかに震わせている。文龍には、それが今にも逝こうとする死者を黄泉路から迎えに来た死の馬車の音にも聞こえた。