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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第1章 騒動の種

 凛花が苦労知らずのお嬢さま育ちだから言えることかもしれない。その日暮らしてゆくことすら難しい民は、凛花の言い分など単なる我が儘だと憤るだろう。が、凛花に言わせれば、両班の娘など所詮は豪奢な鳥籠の中の小鳥にすぎない。親の望むがまま家門と家門の繋がりのために嫁がされ、嫁いだ後は、親の代わりに良人の言うなりにならなければならないだけだ。
 良人は正妻だけでは飽きたらず、側妾を持ち、夫婦といえども、心を通わせ合うこともない。そんな無味乾燥な暮らしのどこが良いのか。
 日々、ご馳走を食べ、絹を纏い、光り輝く宝石で身を飾り立てても、心はいつも砂漠のように乾いている。それが両班の女の真実だ。それよりも、良人は妻一人を愛し、家族が肩を寄せ合って暮らす庶民の方がよほど人間らしい生き方ではないかと思う。
 たとえ貧しくとも、両班よりは庶民に生まれたかったと願う凛花は多分、貧しさの何たるかも知らない世間知らずなだけの娘なのだろう。真に窮乏するというのは、恐らく想像を絶するはずだ。生きるために金を得なければならず、実の親が娘を売り、実の息子が病に伏した親を置き去りにする。理屈としてそれを理解はしていても、現実として体験していない凛花には所詮、想像するしかできない。
 町は前回より更に、熱気と活気に溢れていた。声高に客を呼び込む店主の声が飛び交い、店の品物を真剣に物色する客で道は一杯、先に進むのも難儀なほどだ。
 凛花はその中の一つ、小間物屋の前で脚を止めた。店先には幾つかの大きな籠が並んでいて、凛花が眼を止めたのは紅(ローズ)水晶(クオーツ)のノリゲであった。小さな玉の先に淡い桃色に染まった房がついている。凝った作りではないし、いかにも町の露店で売っていそうな代物ではあるが、その控えめな感じが妙に気に入った。
「気に入ったのか?」
 唐突に背後で囁かれ、流石の凛花も飛び上がらんばかりに愕いた。
 振り向くと、見憶えがありすぎるほどの男が気取って立っていた。もっとも、凛花の方は、この男とは願わくば二度と拘わり合いになりたくないのだが。
 我ながら油断していた。しかし、何なのだろう。この男は。腕は滅法弱い癖に、身のこなしには隙がない。まるで猫のように脚音を立てず、並の男以上の武術の腕を持つ凛花ですら、全く気配に気づかなかった。

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