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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第4章 暗闇に散る花

「私の父に伝えて欲しい」
 その言葉に、凛花は涙を堪えて頷いた。
「はい、何なりと仰せ下さいませ。必ずや私が礼曹判書さまにお伝え致します」
 文龍の苦しげな面に、満足げな笑みが浮かぶ。
「そなたにはまだ話していなかったが、近々、暗行御使(アメンオサ)の任務につくことになっていた。ひと月前、領(ヨン)相大(サンテー)監(ガン)に内々に呼ばれ、伝えられたのだ。来春にはやっと祝言が決まったゆえ、せめて都を発つのは祝言を挙げてからにさせて欲しいと頼んでいたんだ。新婚早々、そなたを長らく一人にするのは気が進まなかったが、一方で折角与えられた機会を存分に活かしてみたいとも思っていた。地方の民の窮状をつぶさに見て、こんな自分にも民のためにできることがあればと願っていたのに、志も果たせなかった。何の働きも孝行もできず、父上には重ねての不幸で申し訳ないと」
 そして、最後は、そなたに詫びなければならない。
 忙しない息の下から、文龍が言った。
「ずっと傍にいて、そなたを守ってやると約束したのに、その約束が果たせなかった。本当に済まないと思っている」
 〝私の凛花〟―、事切れる間際、文龍は確かにそう呟いた。
 文龍の身体から急に力が抜け、その身体の重みを両手で受け止めた時初めて、凛花は最愛の男が自分を置いて逝ったことを自覚した。
 不思議なことに、文龍の死を認識した途端、涙は止まった。
 人は本当に絶望した時、哀しい時、感情が麻痺して涙さえ失ってしまうのだ。十七年の人生で初めて知った哀しい事実だった。
 緩慢な動作で視線を動かし、文龍の顔を見つめる。どれだけ苦しかっただろう、どれだけ無念だったろう。
 苦しんだ割には表情は安らいでいて、苦悶の跡は片鱗もないのが余計に哀しみを誘う。
 文龍は名門皇氏の跡取り息子だった。義禁府きっての手練れとして注目され、将来を嘱望されていた青年だったのだ。その前途には輝かしい未来が待ち受けていたはずだ。
―地方の民の窮状をつぶさに見て、こんな自分にも民のためにできることがあればと願っていたのに、志も果たせなかった。
 突如として、未来や希望、すべてを奪われた彼の口惜しさは察するに余りある。

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