
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第8章 第二話・其の四
何故か、孝俊は不機嫌だった。先刻までの上機嫌はどこへやら、笑顔も消えてしまった。
どうしたら良いのか判らない。
さりとて、今ここで孝俊につむじを曲げられ、宥松院の勧める側室など要らないと突っぱねられたら、困るのは美空だ。
夫妻の間に漂い始めた不穏な空気を悟ったのか、隣室に控えていた智島が現れ、徳千代を抱き取り、乳母の許に連れていった。
徳千代がいなくなったことで、よりいっそう緊迫した空気が張りつめたような気がしてならない。
宥松院にしてみれば、美空が孝俊に側妾など持たぬように懇願しているのだと、またしてもあらぬ誤解を招くことにもなりかねない。
涙がじんわりと出てくる。
「さりながら―」
美空がなおも言いかけると、孝俊がプッと吹き出した。頑なだった表情をふっと和ませ、まなざしを庭から美空に移す。
「何を言われた?」
え、と、思わず眼を見開くと、孝俊が更に口許を緩めた。
「大方、あの女狐の犬にうまく言い含められたのであろう?」
美空は唇を噛みしめ、うつむいた。
それを見た孝俊が破顔する。
「どうやら、図星のようだな」
孝俊は人差し指で美空の額をチョンとつつく。更に、その同じ指で美空の頬を濡らす涙をそっとぬぐった。
「殿、お義母君さまのことをそのように仰せられてはなりませぬ」
美空は真顔でたしなめる。むろん、女狐の犬というのは、宥松院付きの忠実な老女唐橋のことである。
「そちも相当のお人好しだな」
孝俊は呆れたように嘆息し、その後で朗らかな笑顔を見せた。
「だが、そちのそんなところが俺は好きだ」
あまりに直截な言葉に、美空の頬が染まる。
「たとえ市井で暮らそうと、尾張藩主の妻になろうと、そなたは変わらぬ。いつも真っすくで、ひたむきで優しい。―それに、泣き虫なところも少しも変わってはおらぬな」
そう笑みを含んだ声で言うと、また視線を庭に戻す。
どうしたら良いのか判らない。
さりとて、今ここで孝俊につむじを曲げられ、宥松院の勧める側室など要らないと突っぱねられたら、困るのは美空だ。
夫妻の間に漂い始めた不穏な空気を悟ったのか、隣室に控えていた智島が現れ、徳千代を抱き取り、乳母の許に連れていった。
徳千代がいなくなったことで、よりいっそう緊迫した空気が張りつめたような気がしてならない。
宥松院にしてみれば、美空が孝俊に側妾など持たぬように懇願しているのだと、またしてもあらぬ誤解を招くことにもなりかねない。
涙がじんわりと出てくる。
「さりながら―」
美空がなおも言いかけると、孝俊がプッと吹き出した。頑なだった表情をふっと和ませ、まなざしを庭から美空に移す。
「何を言われた?」
え、と、思わず眼を見開くと、孝俊が更に口許を緩めた。
「大方、あの女狐の犬にうまく言い含められたのであろう?」
美空は唇を噛みしめ、うつむいた。
それを見た孝俊が破顔する。
「どうやら、図星のようだな」
孝俊は人差し指で美空の額をチョンとつつく。更に、その同じ指で美空の頬を濡らす涙をそっとぬぐった。
「殿、お義母君さまのことをそのように仰せられてはなりませぬ」
美空は真顔でたしなめる。むろん、女狐の犬というのは、宥松院付きの忠実な老女唐橋のことである。
「そちも相当のお人好しだな」
孝俊は呆れたように嘆息し、その後で朗らかな笑顔を見せた。
「だが、そちのそんなところが俺は好きだ」
あまりに直截な言葉に、美空の頬が染まる。
「たとえ市井で暮らそうと、尾張藩主の妻になろうと、そなたは変わらぬ。いつも真っすくで、ひたむきで優しい。―それに、泣き虫なところも少しも変わってはおらぬな」
そう笑みを含んだ声で言うと、また視線を庭に戻す。
