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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第8章 第二話・其の四

 そのひと月後、尾張藩主徳川孝俊の婚礼が尾張藩上屋敷において盛大に執り行われた。
 孝俊の正室、尾張藩の新しきご簾中となったのは近衛房友の養女芳子である。
 華燭の典に先立ち、孝俊は美空を摂関家の一つである近衛家の姫とすることを決めた。孝俊の祖母、つまり先々代の藩主夫人が近衛家の出身であったからことから、近衛家とは親交があり、その縁で美空を房友の養女とすることを頼んだのだ。
 将軍家、御三家の当主は京の宮家、または摂関家よりご簾中を迎えることになっている。美空を近衛家の養女としたのも、すべては美空にこれ以上肩身の狭い想いをさせたくないという孝俊の配慮であった。
 婚礼当日には、将軍家や諸大名家からも祝いの品々が山のように届き、更に将軍家 公も臨席されるという栄誉を賜った。
 金屏風を背にして居並んだ二人は、まさに夫婦雛のようであった。従二位大納言として衣冠束帯姿の正装で臨んだ新郎は、まさに光源氏の再来かと思えるほど凛々しく優雅、白無垢を纏った傍らの新婦は可憐で、匂いやかな花のように艶やか、神々しいほどに美しかった。
 高砂が高らかに響き渡る大広間の金屏風の前に並んだ時、新郎が新婦に何やら耳打ちしたことに気付いた者は誰もいない。
―俺は側室は生涯持たぬ。
 あまりに一瞬の間のことであったため、誰も知ることはなかったのだ。
 初々しい花嫁の眼が涙で濡れていたのは、恐らく、感極まったせいだと皆は思ったことだろう。
 しかし、美空だけは、ちゃんと知っていた。
 美空を泣かせたそのひと言の次に、孝俊が囁いた唄があったことを。
―玉ゆらに
  昨日の夕見しものを
    今日の朝に恋ふべきものか

 孝俊がまだ小間物屋孝太郎であった頃、美空に初めて想いを打ち明けられたときの想い出の唄だ。
 その日、尾張藩上屋敷の庭には、初冬を彩る椿の花が咲き誇っていた。そして、新たに正式なご簾中として内外に紹介された花嫁は、その薄紅色の花冠のごとき麗しい姫であった。

(第二話はこれで終わり、明日から第三話へ続きます)

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