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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第11章 第三話〝花笑み~はなえみ~〟・其の参

 この日、新将軍夫妻が初めて大奥入りした。数日前、前将軍家友公が二年に及ぶ闘病生活の後、薨去された。その家友公の後を受け、御三家筆頭、尾張徳川家当主孝俊公が第八代の将軍となる。いまだ前将軍の葬儀も済んではいないが、既に京の朝廷からは孝俊改め家俊公の将軍継職を認める将軍宣下が降りている。将軍となったことを披露する儀、いわゆる就任の大礼は前将軍の葬儀が終わり次第、吉日をもって行われる予定である。
 正装の将軍は御年二十六歳、秀でた面立ちの凛々しい姿であり、まさに武家の棟梁にふさわしい存在感を漂わせている。打掛姿の御台所は二十一歳、紅地に金糸銀糸で桜の模様を織りだした豪奢な打掛が白皙の美貌によく映えている。まさに似合いの将軍夫妻で、殊に、このときの御台所芳子の艶やかな晴れ姿は後々まで大奥の女中たちによって語り継がれることになった。
 御台所の後から、二人の若君が続く。新しい将軍夫妻の間には既に二人の若君を儲け、長子徳千代君は四歳、第二子孝次郞君は三歳になる。徳千代君はこの後は、将軍世嗣として西ノ丸に入ることになる。
 美空はともすれば緊張で震えそうになる我が身を叱咤する。少しでも毅然と見えるように、背筋をしゃんと伸ばし、顔を上げる。
 今日よりは、彼女はこの大奥の頂点に立ち、三千人と呼ばれる大奥の女たちを統べる御台所となる。
 自分を尾張藩へと導いた運命は今、また、新たに別の場所に連れてゆこうとしている。ひとたびは尾張藩主の妻、ご簾中の座に納まったはずなのに、道はここでは終わらなかった。
 美空の前には更に、長い一本の道が伸びている。その先は、自分でさえ予期しなかった場所、江戸城大奥へとつながっていた。市井の底で生まれ育った名もなき少女が尾張藩主の正室、更に将軍家御台所にまで上りつめるなぞと一体、誰が想像し得ただろう。

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