テキストサイズ

激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第13章 第四話・其の弐

 初瀨の気持ちも悔しさも判らないではない。しかし、矢代は現在の立場を己れの力で勝ち得たのだ。初瀨には酷なようだが、矢代が初瀨よりも立場が上になったのは、他ならぬ二人の力量、能力の差異でしかないだろう。
 自分の力不足で昇進できなかったことで矢代を恨むというのは筋違いというものだ。
 とにかく、真実をしかとこの眼で見極めねばならない。
「行こう。堀田に逢いに」
 美空はひと言言うと、立ち上がった。
 だが、その前に、美空には是非、もう一人、逢っておかねばならない人物がいる。
 それにしても、代参で城外に出た際、ひそかに料亭の奥座敷で女形と逢瀬を持ったというのは、全くのでっち上げにしては筋書きができすぎているような気もする。
 そのことが、美空には唯一気がかりであった。
 智島が美空を縋るような眼で見つめている。
「智島」
 胸騒ぎを憶え、彼女の名を繰り返した美空の髪をどこから吹き込んできたものか、一陣の風が揺らした。
 無言のまま、二人の眼線が交錯し、重い空気が流れる。その空気を先に破ったのは、美空の方だった。
「そなたの気持ちは判っておるつもりじゃ。私にでき得る限りのことは致すゆえ、そのように沈んだ顔をせぬように」
 本当は智島は美空に矢代の助命を頼みにきたに違いない。しかし、智島の気性からして、御台所である美空に一介の奥女中のことで動いて欲しいとは言えなかったのだろう。
―何とぞ、矢代の生命をお助け下さいませ。
 言うに言えなかった智島の胸中を美空は察した。
 外は俄に風が出てきたようだ。
 庭の桜が音を立てて、ざわめいている。
 嵐の前の予兆―、美空はそんな気がして、不安げに閉(た)て切った障子戸を見やった。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ