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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第15章 第四話・其の四

 この料紙に書かれた歌は、美空自身の手蹟になるものだ。いかにも女性らしい繊細で濃やかな筆遣いはなかなかの達筆といえた。
 尾張藩主のご簾中となって以来、美空は教養を身につけることを第一に心がけた。家俊がわざわざ京から呼び寄せた上﨟女房飛鳥井を師とし、古典を読み、字を習い、琴さえ学んだ。
 書において能筆家としても名を知られる家俊でさえ、眼を瞠るほどの上達ぶりを見せた。家俊は大名の中でも、書をよくたしなむとして結構評判だった。家俊の字はその気性を表すかのように、伸びやかで雄々しい。
 水面に反射した光が揺らめく度に、料紙の砂子がちらちらと煌めく。
 美空は歌を片手で胸にかき抱き、静かに眼を瞑る。
 やがて、衣ずれの音が近づいてくる。
「―ここにいたのか」
 美空は眼を見開き、ゆっくりと声の主を振り返り、唇を綻ばせた。
 今日の美空は涼しげな水浅葱色の打掛を身に纏っている。身頃から裾に藤や牡丹、菖蒲などの春の花が描かれ、その間に扇面が散っている。扇面は金糸、銀糸の縫い取りだ。
 下に合わせた小袖は、はんなりとした桜色。
 家俊が眼を細めたのは、恐らく、水面で揺れる光のせいだけではないだろう。この美しい彼の妻は、結婚して五年経った今でも、彼を魅了してやまない。
「それは?」
 訊ねられ、美空は片手に持っていた料紙を差し出した。料紙を受け取った家俊がちらと眼を走らせ、笑った。
「何を大切そうに眺めているかと思えば、このようなものだったのか」
「まあ、上さまは一体、これを何だと思し召されましたの?」
 美空が訊ねると、家俊は肩をすくめた。
「美しい俺の妻に、どこかのけしからぬ男が懸想でもして、恋文を寄越したのかと思うた」
 と、どこまで本気か冗談か判らぬことをしれっと言う。
「生憎と、亭主もいる三人もの子持ち女にこのような歌を贈って下さる方はお一人しかございませぬ」
 美空もまた負けずに返すと、家俊が何故か嬉しげな顔になる。

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