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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第5章 第二話〝烏瓜(からすうり)〟・其の壱

 美空がここ尾張藩上屋敷に迎えられて、一年五ヵ月が経った。昨年の春、桜が咲く頃に上屋敷に入った美空はその半年後、藩主孝俊の長男徳千代を生んだ。徳千代は現在、生後十一ヶ月、あとひと月もすれば一歳を迎える。孝俊の寵愛も厚く、現在のところ、側妾も置かぬほどで、藩主の妻としても、ただ一人の世継の生母としても美空の立場は盤石のものに見える。
 が、内実は、上屋敷の者は奥女中ばかりか、江戸家老の碓井主膳を初め主立った重臣たちも皆が美空をまるで汚いものでも見るかのような眼で見ている。その眼は暗に美空が尾張藩の御簾中としてもその世嗣の生母としてもふさわしからぬと主張していた。たとえ表立って口にはせずとも、それらの冷たい眼は物言わぬ重圧を美空に与えてくる。時折、美空はその無言の圧迫に耐えかね、弱音を吐きそうになるこそもしばしばだった。
 それが、孝俊への想い、我が子徳千代への情愛だけで辛うじて抑えられている―というのが現在の状況だ。
 頭上高くで、鳥の声が聞こえる。
 あれは何の鳥だろうか。美空はぼんやりとした頭で考えつつ、視線を巡らせる。
 緑色の物体が空をかすめるように飛び、やがて庭の樹の向こうに消え去った。
―私も鳥になれたら。
 ふと、そんな想いが脳裡をよぎった。
 鳥のように翼があれば、あの翼をはためかせ大空を思う存分に羽ばたいてみたい。誰の眼も思惑も気にすることもなく、ただ無心に自由に蒼空を翔けてゆくのだ。
 だが、と思う。あの空の向こうには孝俊はいない。孝俊と二人で鳥になり、寄り添い合って飛んでゆけるのなら良いけれど、たった一人では淋しすぎる。
 結局のところ、美空は孝俊がいなければ駄目なのだ。孝俊の傍にいたいと願う一心で尾張藩の上屋敷にも来たし、今の辛い日々にも一人で耐えている。孝俊が尾張藩主として生きることを望んだその時、美空の運命も決まった。小間物屋孝太郎の妻ではなく、尾張藩主の正室として生きることを美空自身が選び取ったのだ。

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