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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第5章 第二話〝烏瓜(からすうり)〟・其の壱

 この藩邸では唯一心を許せる存在の侍女智島がそっと耳打ちしてくれたことから、知るところとなったのだけれど、仮に智島という存在がなければ、美空は自分がそのような誹謗中傷の的になっているとは考えもせずにいただろう。
 陰にこもった声が聞こえてくるようで、美空は思わず両手で耳を覆った。
 美空が何をするにも、奥女中たちの冷たい眼が追いかけてくる。欠伸一つ、溜息一つが思うようにできない。
 これが、自分の望んでいた暮らしだったのだろうか。惚れた男の傍にずっといたい、孝俊の隣こそが自分の居るべき場所と思っての藩邸入りではあったが、他の人間は美空の心なぞ理解しようともしない。ただ、下賤な町家暮らしの女が色香で孝俊を誑かし、まんまと尾張藩主の御簾中に納まったにすぎないと考えているのだから。
 たとえ孝俊の傍にいられるとしても、これではあまりにも酷すぎる。そう思うのは、自分の覚悟が足りないせいなのか、甘えなのだろうか。すべてが敵ばかりと言っても過言ではない中、頼りにするのは良人孝俊である。が、その孝俊は政務が忙しくて、日中は顔を見ることもなく、夜、閨で過ごすときだけが二人の時間だった。だが、政に取り組む良人に、そのような自分の繰り言めいた気持ちを訴えることなぞできるはずもなく、美空の心は日毎に潤いを無くし、乾いてゆくような気がする。
 物想いに耽っている中に、知らず小さな吐息が洩れていた。美空は思わず微苦笑を刻み、視線をゆっくりと動かす。
 涯なく続く大海原を彷彿とさせる蒼穹の彼方に、ちぎれ雲が浮かんでいる。それは、はや夏特有の入道雲ではなく、季節が水面下でゆっくりと、しかしながら確実に移行しているのを物語っている。
 いつだって、自然は偉大だ。何があっても、空は蒼く雲は流れゆく。樹々は時が来れば、芽吹き花開き、やがては実を結ぶ。誰に教えられずとも、その時期を己れで知り、自分の花を咲かせるのだ。その自然の雄大さ、変わらないところが美空にはただ羨ましかった。
 我が身もそのようになりたいと願ってみても、あまりに難しい。奥女中たの冷たい視線や心ない陰口の一つ一つに心が乱れ、まるで石のつぶてを浴びたように傷ついてしまう。孝俊のためにも、我が子徳千代のためにも、妻として母としてしっかりしなければと思うのに、心は萎え挫けそうだ。

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