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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第5章 第二話〝烏瓜(からすうり)〟・其の壱

 裏店育ちの娘が玉の輿、それも尾張藩のご簾中となるという夢物語のような幸せを掴んだにも拘わらず、態度に驕ったところはなく、むしろ他人に気遣いのできる優しい娘だ。それでいて、機転は利くし、変に臆してもいない。偉ぶることもないのに、その堂々とした様は、彼女がなるべくして大藩の藩主の正室になった―、この少女の夢のような運命はまさに天の配剤であったのかと思うほどだ。このような女性に眼を付けたとは、藩主孝俊の、若いながらも英明な人物との評価を裏付けるものでもある。
 だが、現実として、この少女の真の価値を理解し得る者はこの上屋敷にはいない。皆、誰もが成り上がり者と蔑み、女たちは、いきなり藩主の妻の座に納まった美空を妬み半分で見ている。
 いずれ誰もがこの類稀なる女性の真価を理解する日が来るには違いない。自分たちの殿が選んだ女性は世にも得がたい女性だったのだと。が、当面、この若いご簾中は周囲からの理解を得られることもなく、孤立して過ごさねばならないだろう。
 人の心とは厄介なものだ。自分より不幸な者にはどこまでも優しくなれるが、自分より幸せな者はたとえ上辺ではへつらってみても、その心の内はどす黒い嫉妬の嵐が吹き荒れている。殊に、幸せを掴んだ者が自分より格下というか身分の低い者であった、もしくは自分がこれまで見下していたような者であった場合、その嫉妬も尋常ではない。
 上屋敷の奥女中たちは、明らかに自分たちより身分の低い生まれ育ちである美空が突然、藩主の妻になったことを露骨に妬んでいる。美空が仮に正室―ご簾中という立場ではなく、一側室として迎えられたのであれば、奥女中たちの妬みもこれほど凄まじいものではなかったろう。
 が、藩主孝俊は先代藩主高次の正室である宥松院を初め、居並ぶ重臣たちの猛反対を押し切って、美空を正室として迎え入れた。彼女たちは、女なら誰しもが憧れずにはおれない夢のような幸運を掴んだ美空に憎悪すら抱いている。
「さりながら―、失礼かとは存じますが、ご簾中さまのお顔色はただ事ではないように拝見致しますが」
 智島が控えめに言うと、美空は淋しげに微笑んだ。
「そなたには隠し事もできぬようじゃな」
 ふっと花のような笑みを浮かべた後、まるで秘密を打ち明けるかのような小声で囁く。

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