
変人を好きになりました
第16章 虹の匂い
柊一が見極めるようにしていた瞳を伏せて呟いた。
「……それだけか」
ぽたりと小さな滴が柊一の肩に落ちるのを見た。もう降ってきたか。
「それだけだよ」
少し間をあけて返事をした頃には雨がぱらぱら降り始めていた。今から戦い始める野生の動物のように俺も柊一も相手を睨みつけている。俺だって譲ることはできないんだ。せめて、せめて彼女が記憶を取り戻して柊一の所へ行くまでは夢を見させてほしい。そんなくらいの我儘叶えてくれたっていいじゃないか。あわよくば、記憶が戻らなければいい。記憶が戻ったって、それまでに俺のことを今の古都に大好きになってもらえばなんとかなるかもしれない。
……そんな可能性ゼロに近いなんて分かってる。
「あの指輪は」
雨の滴が地面にたたきつけられる音をかき分けて柊一が声を出した。土の中からジオスミンの香りが出てきた。古都はこの匂いが好きと言っていたけれど、このジオスミンは細菌が出しているもので下水の匂いに似ている。俺はジオスミンもペトリコールの匂いも好きだとは感じない。けれど、古都が好きなこの香りはアリストテレスが『虹の匂い』だと言ったんだと教えると古都はすごく嬉しそうな顔をした。
「指輪? ああ、あれ。俺が贈ったんだ」
「そうか」
贈ったとしか答えていないのに柊一は途端に意気消沈したように下を向いた。それからすぐに顔を上げて俺の目を見つめた。真っ黒な柊一の瞳は何を考えているのか分からない。
「なら、僕も何か贈ることにする」
「……はあ?」
何を言ってるんだ。こいつ、研究のしすぎで頭が逝ったんじゃないのかという考えが頭をよぎる。
「僕はやっぱり古都さんを諦められない。だから……」
研究することがあると言い残しさっさと去って行った柊一の背中を呆然として見送った。傘も差さずに土砂降りになりつつある天気の中どこか清々しく前だけを見て突き進む柊一の背中は俺から見たって男前だった。
「……それだけか」
ぽたりと小さな滴が柊一の肩に落ちるのを見た。もう降ってきたか。
「それだけだよ」
少し間をあけて返事をした頃には雨がぱらぱら降り始めていた。今から戦い始める野生の動物のように俺も柊一も相手を睨みつけている。俺だって譲ることはできないんだ。せめて、せめて彼女が記憶を取り戻して柊一の所へ行くまでは夢を見させてほしい。そんなくらいの我儘叶えてくれたっていいじゃないか。あわよくば、記憶が戻らなければいい。記憶が戻ったって、それまでに俺のことを今の古都に大好きになってもらえばなんとかなるかもしれない。
……そんな可能性ゼロに近いなんて分かってる。
「あの指輪は」
雨の滴が地面にたたきつけられる音をかき分けて柊一が声を出した。土の中からジオスミンの香りが出てきた。古都はこの匂いが好きと言っていたけれど、このジオスミンは細菌が出しているもので下水の匂いに似ている。俺はジオスミンもペトリコールの匂いも好きだとは感じない。けれど、古都が好きなこの香りはアリストテレスが『虹の匂い』だと言ったんだと教えると古都はすごく嬉しそうな顔をした。
「指輪? ああ、あれ。俺が贈ったんだ」
「そうか」
贈ったとしか答えていないのに柊一は途端に意気消沈したように下を向いた。それからすぐに顔を上げて俺の目を見つめた。真っ黒な柊一の瞳は何を考えているのか分からない。
「なら、僕も何か贈ることにする」
「……はあ?」
何を言ってるんだ。こいつ、研究のしすぎで頭が逝ったんじゃないのかという考えが頭をよぎる。
「僕はやっぱり古都さんを諦められない。だから……」
研究することがあると言い残しさっさと去って行った柊一の背中を呆然として見送った。傘も差さずに土砂降りになりつつある天気の中どこか清々しく前だけを見て突き進む柊一の背中は俺から見たって男前だった。
