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変人を好きになりました

第20章 思い違いの脱走

「日向古都さんでいらっしゃいますね?」


 病院を出て、人気のない広い道をとぼとぼと歩く。平日の真昼間、大きな大学病院は都心から離れた場所にあって周りは閑静な住宅街。誰もいないと思っていただけに低い声に呼び止められた時私は飛び上がって驚いた。

「驚かせるつもりはなかったのですが、申し訳ありません」
「いえ……。どちら様でしょう? すみません。私、記憶障害になってしまってここ1、2年の記憶が……」

 振り返って目の前にいる長身の男性を見る。あきらかにお金に不自由していない恰好をしているその人に見覚えは全くない……。

「そのことはよく伺っています。ご安心を。あなたとお会いするのは初めてですから。自己紹介が遅れました私こういう者です」

 差し出された名刺を見ると、有名な会社の名前が書いてあった。しかも、宿谷蒼と書かれた名前の上には取締役代表とさりげなく記されている。

「宿谷蒼といいます」

 そんな重要なポストにいるようには見えない若さを私は思わずいぶかしげに観察してしまう。

 一言で言うなら洗練された大人の男性。20代後半だろうか、すらりとした体型はクロタキさんにだいぶ似ている。ただ肌はほどよく日に焼けている。
 ヘアカタログにのっていそうな髪型でどこででも食べていけるようなモデル顔。普通に道を歩いていてすれ違ったら十人中九人には二度見されるんじゃないかと思うくらい恰好いい。

 しかもあの大手企業の社長。
 そんな人が私に何の用だろう……。


「日向古都と言います」
 自己紹介代わりの名刺を渡されたからには私も名前くらいは言っておこうと思い、口にした。しかし、この人はさっき私のフルネームを言ってのけたことに気が付いて口を閉じる。

「突然で驚かれると思いますが」
 そう言いながら宿谷さんの黒い瞳が私の覆われた右目をちらりと見た。

「古都さんが先日巻き込まれた事故の関係者が私の知人におりまして、その者から古都さんのことを聞いて勝手に様子が気になったものですから」

 私の頭を混乱させないように言っていい情報と言ってはならない情報を選り分けて喋っているらしい。

「そうですか。ありがとうございます。ご心配おかけして申し訳ありません。私はこの通り元気なので、そのお知り合いの方にもそうお伝え下さい」

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