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変人を好きになりました

第20章 思い違いの脱走

「古都さん。あなたはドイツの大学に在籍されていましたね。ドイツで一番優秀な大学。そこで在学中に群を抜いて好成績を叩きだして話題になったそうじゃありませんか。しかもドイツ語、英語のほかにフランス語、トルコ語、イタリア語までできるとか」

 あと、ヒンディー語とギリシャ語もだ、と付け加えたかったけれど、止めておいた。

「でも」
「お願いします」
「本当に私……」

「日向古都さんが適任です。私の人を見る目は中々評判がいいんですよ?」

 何十回かそんなやりとりをしてから、私が3か月という期間働くことで折れた。右目が失明してしまったら仕事にも支障をきたすかもしれないと内心心配していたから短期間のみの契約というのには安心する。


 悪い話じゃない。これからあの家を離れようと思っていたからちょうどいい話だった。それに、私のことを人間として必要だと言ってくれる宿谷社長の爽やかながらに熱い瞳に私は初めて認められたような気持になっていた。

 日向古都さん。私のフルネームを口にされて身が引き締まった。



 そのまま宿谷さんにひっぱられるようにして会社に向かった。
 都心の只中にあるオフィスはガラス張りで近寄るのも恐れ多いようなお洒落な大きなビルだった。

 中にはいってみると、書類を片手に携帯で忙しそうに喋りまくる人や、談笑しながら連れ立って歩く人たち、真剣な顔をしながら座って話す人たちの口は喋るだけでなくパンを頬張るのに忙しそうな光景もある。


 想像と違う……。

 狭苦しくぴったりと並べられたデスク、上下関係の激しい社内事情、お茶くみをする女性、偉そうな部長の怒鳴り声なんかとは程遠い世界。私は日本に対していつの間に偏見を持っていたのだろう。こんな素晴らしい会社があるなんて知らなかった。

「社長、おかえりなさい。さっきの書類、もうまとめておきましたっ」
「なに社長、もしかしてナンパしてきたんですか?」
「おっ、可愛い! 俺のタイプっす。社長、紹介して下さいよっ」

 私たちが通り過ぎる度本当に悪意の欠片もない言葉が飛び交う。私はどうしていいか分からず頭を下げて挨拶して回る。

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