テキストサイズ

変人を好きになりました

第8章 元ストーカー

 古城の廊下には暖房が設置されていないから、すごくひんやりしていて薄手のカーディガンだけではとても寒さに耐えられない。

 それでも、古城の雰囲気に興奮している体はむしろその温度をありがたく感じていた。
 冷たく一見無機質な廊下には絨毯もひかれていない。そのままの石。
 微妙な凹凸や汚れを発見すると、いつの時代にどんな人たちが歩いていた場所なんだろうなんて考えることができてそれなりに楽しい。



 ここ最近の私の楽しみはこの廊下をゆっくり歩くことだけだった。

 空良くんはしばらくロンドンに滞在して新しい研究に取り組むらしく、私もいまは日本に帰ることもできず、ずっと古城の中で生活している。
 研究所と古城を行ったり来たりしている空良くんは忙しそうで、食事をする時以外は話す機会もない。
 それでも、空良くんが私のことを気にかけてわざわざ食事だけしに戻ってきているのは知っていたから文句なんて言えるはずがない。

 外に出るなとは言われていないけれど、出ようとするとガードマンたちが四方を囲うようにくっついて回ろうとするから外出する頻度も少なくなった。
 テレビもパソコンもない、外部の情報が一切入ってこないこの場所。外の世界と隔離されたみたいで、時折すごく不安になる。
 なにから来る不安なのか自分でも分からないけれど、小さな音を立てる掛け時計の秒針を見たり、空良くんの連絡先しかはいっていないイギリス用の携帯の滅多に光ることのない画面を眺めていると焦りを感じてしまう。

 綺麗で神秘的でいるだけで胸が高鳴ったこの夢だった古城だって今となっては要塞に思えてくる。
 昔、どこかの国のお姫様が言ったようにここは綺麗な牢獄だ。


 溜め息をついて庭の噴水をなんともなしに眺める。
「私、なんでこんな所にいるんだろう」
 誰も近くにいないから小さな声で呟いてみたら、寂しくなった。
 この間までは黒滝さんのお世話をして、図書館で仕事をしての繰り返しだった生活が懐かしい。平凡だったあの日々がとてつもなく幸せな生活だったと今さら気が付いた。



 黒滝さんが結婚。



 そう心の中で何回も、何十回も、何百回、何千回唱えたか分からない。それでも、そう実感することはできなかった。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ