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変人を好きになりました

第8章 元ストーカー

「あったかい。空良くん、お口についてるよ」
「古都もだよ」
 ふっくらとした桃色の唇の端にミルクの泡をつけている空良くんは子どもみたいに無邪気に笑う。私は急いで袖で口の周りを拭おうとした。

「だーめ」
 空良くんが私の腕を掴むと、指で私の口についていたチョコレートを拭った。
 人差し指についた甘い液体を空良くんが舌を出して舐めとる。
 さっきまで純粋無垢な男の子のふりをしておきながらずるい。まるで妖艶な行為をしているような空良くんの潤んだ表情にコーヒーを運んでいた店員さんも釘づけになったのか、盆にのせているふたつのマグカップが急に止まった足のせいでガチャリと音を立てた。


「ほら、古都もやって」
 空良くんみたいな人をテレビドラマや少女マンガの中でしか見たことのない私は胸が高鳴るというよりはその行為に驚いていた。
 空良くんはねだるように泡立ったミルクがついた口を指さした。
「もおっ。自分で拭いてよ」
 我に返った私は空良くんにハンカチを渡すと、軽い笑い声を響かせながら空良くんは素直にそれに従った。
「古都のびっくりする顔すごい好きだから、つい」
「ついって……」
 さらっと好きだなんて言われて、今度は文字通り胸が高鳴った。
 洗脳されつつあるのかもしれない。

 空良くんが一瞬で真顔になった。
「古都はさ、優しすぎるのかも」
「え?」
「人のことばっかり考えてるから、いつも損しちゃうんだよ。図書館でだって読書会の音読押し付けられたり、子供書籍のコーナーの掃除させられたり、埃が積った書架の整理だって一人で引き受けてただろ」
 確かに、館長に頼まれて音読を始めた。
 図書館で一番掃除が大変な子供たちの遊び場の片づけも先輩に頼まれて引き受けた。
 埃が積った書架というより、誰もあまり立ち入らない場所の整理は何度もやっていた。
 でも……。
「どうして知ってるの?」
 空良くんが近くにいれば気付くはずなのに、私の記憶には一切空良くんが存在しない。
「こっそり見てたんだ。古都って集中すると周りが見えなくなるタイプだからね」
「でも、損だなんて思ったことないし、問題ないよ」
 空良くんはあきらめたように首を振った。
「古都が大丈夫でも俺が大丈夫じゃない。いつも仕事を笑顔で引き受ける古都を見てすごい心配になってたんだ」

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