
変人を好きになりました
第14章 消えた光
どうして。
確かにここ数カ月の記憶なんて消えてくれても構わない。むしろ古都さんの身体全体から僕があの女につけられていて、古都さんが空良と……一緒に暮らして付き合っている間の記憶なんて消し去りたいと思う。それでも、僕が古都さんの作った料理を食べたり、依頼を引き受けて部屋にこもったり研究所と部屋を行き来している時の僕を心配そうに見守ってくれていた記憶まで消えてしまうなんて炭素の粒子ほども望んでいない。
ドクターは僕に目配せをして別室に呼んだ。そこでいろいろな注意事項や今後の治療について話を聞いたが、僕はほとんど上の空だった。
知識としての記憶喪失という症状や今までの事例ならいくらでも頭に入っている。でも、これは違うのだ。古都さんが絡むと僕の今までの知識や経験はナイル河の底に転がる数ミリほどの小石のように思えてしまう。
どうしてこうなった。
白い長机が「ガゴン」と大きな音を立てた。ドクターが憐れむような目でこちらを見ている。自分の手が拳を作って机の上を叩いたんだ。
あの女……。
そう思わずにはいられない。あの女さえ現れなければ、古都さんは傷つかずに済んだ。
本当はあの女のことよりも自分の力の無さに今までにないほど落胆し、途方に暮れ、憤っているのだと分かっている。
「古都さん。ごめん」
そう呟く声を自分で聞いてから子供みたいだと思った。いや、子供のころだってこんな弱弱しくて情けない声を出したことはないだろう。
ぼとりと机の上に滴が落ちた。僕が泣いたって仕方がないのに……泣いたのなんていつぶりだ。今までに泣いた記憶がないことに気が付いて思考回路を絶った。
