紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~
第1章 炎と情熱の章①
☆♯01 SceneⅠ(紫陽花の庭)☆
その日、美月はいつもより大幅に寝過ごしてしまった。トースターで焼いたパンを口に押し込みながら、美月は恨めしげにリビングの壁時計を見た。今、7:30。いつもなら、とっくに地下鉄に揺られている時刻だ。
だが、と、慌てて思い直す。三十分程度の遅れなら、取り返せないことはない。このまま家を飛び出てダッシュすれば、いつもの時間の次に来る電車に間に合うはず。
美月はリビングを駆け抜け、そのまま玄関に置いてあったパンプスを突っかけると、猛ダッシュで家を飛び出した。むろん、玄関のドアに鍵をかけることも忘れない。
猫の額ほどの庭を勢いで走り抜け、白い鉄製の門を後ろ手に閉めると、ふと斜向かいの平屋の庭先の光景が眼に飛び込んできた。
美月の暮らすこの界隈は閑静な住宅街で、K町の中でもとりわけ落ち着いた雰囲気が漂う。瀟洒な邸宅ばかりの中ではかなり目立つ斜向かいの木造建のその一階家には、一年ほど前までは八十過ぎの老婦人が一人暮らしをしていた。
美月が幼稚園の頃、亡くなった祖母の面影を彷彿とさせるその人は、小さな庭に四季折々の花々を植えて、まるで自分の家族のように丹精していた。
夫を戦争で亡くし、一人息子にも先立たれてしまったと聞いたが、物腰の柔らかな和服の似合う上品な老婦人だった。美月はいつも道端で顔を合わせたときに挨拶をするくらいのものだったけれど、漠然といつか自分も歳を取ったら、こんな風にステキなお婆ちゃんになりたいと思ったものだった。
一人でも孤独さを嘆くよりも、人生をゆったりと愉しみ、生きることを謳歌している―そんな凜とした姿に、心惹かれたのだ。
その老婦人は、丁度一年前のこの時季に亡くなった。何日もの間、音信不通で電話も通じないのを案じた甥夫婦がわざわざ埼玉から駆けつけたときには、既に亡くなっていたのだという。
その日、美月はいつもより大幅に寝過ごしてしまった。トースターで焼いたパンを口に押し込みながら、美月は恨めしげにリビングの壁時計を見た。今、7:30。いつもなら、とっくに地下鉄に揺られている時刻だ。
だが、と、慌てて思い直す。三十分程度の遅れなら、取り返せないことはない。このまま家を飛び出てダッシュすれば、いつもの時間の次に来る電車に間に合うはず。
美月はリビングを駆け抜け、そのまま玄関に置いてあったパンプスを突っかけると、猛ダッシュで家を飛び出した。むろん、玄関のドアに鍵をかけることも忘れない。
猫の額ほどの庭を勢いで走り抜け、白い鉄製の門を後ろ手に閉めると、ふと斜向かいの平屋の庭先の光景が眼に飛び込んできた。
美月の暮らすこの界隈は閑静な住宅街で、K町の中でもとりわけ落ち着いた雰囲気が漂う。瀟洒な邸宅ばかりの中ではかなり目立つ斜向かいの木造建のその一階家には、一年ほど前までは八十過ぎの老婦人が一人暮らしをしていた。
美月が幼稚園の頃、亡くなった祖母の面影を彷彿とさせるその人は、小さな庭に四季折々の花々を植えて、まるで自分の家族のように丹精していた。
夫を戦争で亡くし、一人息子にも先立たれてしまったと聞いたが、物腰の柔らかな和服の似合う上品な老婦人だった。美月はいつも道端で顔を合わせたときに挨拶をするくらいのものだったけれど、漠然といつか自分も歳を取ったら、こんな風にステキなお婆ちゃんになりたいと思ったものだった。
一人でも孤独さを嘆くよりも、人生をゆったりと愉しみ、生きることを謳歌している―そんな凜とした姿に、心惹かれたのだ。
その老婦人は、丁度一年前のこの時季に亡くなった。何日もの間、音信不通で電話も通じないのを案じた甥夫婦がわざわざ埼玉から駆けつけたときには、既に亡くなっていたのだという。