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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第2章 炎と情熱の章②

 晃司は、駅前のマンションにも部屋を持っているらしい。普段は大抵、そちらで起居しているのだ。だから結婚したと言っても、それは殆ど〝別居婚〟のようなもので、すべては〝契約〟どおりに進んでいるといって良かった。
 そのお陰で、美月は誰はばかることなく、自分の使いたいように時間を過ごせた。美月は一日の大部分をマンションで過ごし、資格試験の勉強に費やした。それは司法書士になるためのもので、OL時代から続けていたものだった。
 更に、その合間には、これも独身の頃からやっていた欧米の小説の翻訳にせっせといそしむ。これは地味だが、やり甲斐のあるバイトなのだ。得意の英語を活かしてのこのバイトで少しずつでもお金を貯め、いずれこのマンションを出たときの蓄えにするつもりだ。
 美月の生活のすべてが〝五年後〟を考えて動いていた。契約が終了し、晴れて一人に戻ったら、あれもしたい、これもしたいと美月はいつか来るその日を夢見ながら、勉強とバイトに明け暮れていた。
 たまにリフレッシュしたいと思えば、マンションの隣の小さな公園にゆく。小さな木のベンチに座って真夏の陽光に照り輝く樹々の緑を眺め、頭上から降ってくる蝉時雨に耳を傾けているだけで、暑さも忘れて身体も心も軽くなってゆくようだった。
 七月もそろそろ終わりに近づいたある日のことだった。その日、美月は午前中は試験問題を解くことで費やし、午後は昨日、出版社から届いたばかりの新しい作品の翻訳をして過ごした。
 美月は既に〝速見三月〟というペンネームで何冊か翻訳を手がけた本を出している。いうなれば、翻訳作家の端くれともいえるのだけれど、自分でそんな風に言うのもおこがましい気がして、親友であった実由里にさえ話したことはない。
 夕方になって、デスクワークばかりで疲れた心身を休めようと久々に外に出た。自転車で隣の公園に行き、いつもの彼女の指定席であるベンチに座り、ぼんやりとして時を過ごした。
 夕暮れは、見ていて飽きない。茜色から、パープル、藍色と次第に色を変えてゆく西の空を眺めた後、辺りに夕闇が忍び寄り始めたのを潮に、やっとベンチから立ち上がった。

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