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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第4章 光と陽だまりの章

 ポッキーにしてみれば、フワフワモコモコしたセーターは手頃な玩具なのだ。
「おい、止せ! 噛むのは止めろ」
 普段ポッキーに優しい勇一が声を荒げるなど珍しいことだ。
 最初は黙って見ていた美月だが、勇一があまりにポッキーを叱るので、ポッキーが可哀想になった。ポッキーは勇一が大好きなのだ。しゅんと耳を垂れ、うなだれているポッキーをちらりと見、美月はとりなすように言った。
「ポッキーにはセーターが珍しい玩具に見えるのよ。だから、そんなに怒らないで」
 すると、勇一がむうっとまるで子どものように拗ねる。
「あれは俺にとっては大切なものなんだ。いくら先生がポッキーを庇ったって、許せることと許せないことがあるよ。もし、破けちゃったら、どうするのさ」
 至極真面目にのたまう勇一に、美月は笑い声を立てた。
「大丈夫よ、駄目になったら、また、同じセーターを編むから。第一、あのセーターをあげたのは私よ? 悪戯するポッキーを叱るのは私の役目のはずで、その私が叱らなくても良いというんだから、あなたはポッキーを叱ることはできないわ」
「何だか判ったような、よく判らないような理屈だけど、もう良いや。ポッキー、悪戯するのもほどほどにしとけよ」
 勇一は頬を膨らませて愛犬に言い聞かせると、面白くなさそうな顔で黙り込む。
 ふと気付くと、勇一の皿が空になっていた。
 美月は煮立った鍋からまた、シラタキと鶏肉をお玉で掬い入れてやった。その時。
 自分で鍋から具を拾おうと伸ばした勇一の手と美月の手が束の間、触れた。刹那、二人は同時にまるで熱いものにでも触ったかのように慌てて飛びすさって手を引っ込めた。
 まるで本当に火傷したかのように指先が―勇一が触れた箇所が熱い。
「ご、ごめん」
 何故か赤面して謝る勇一とまともに視線を合わせられず、美月は狼狽えて立ち上がった。
「あ、私、そろそろ洗い物を片付けちゃおうと思うけど、良いかな?」
 その態度は、どう見ても不自然すぎる。多分、今の自分も勇一に負けないほど頬を赤くしているだろう。そう思うと、恥ずかしさに居たたまれなかった。
 それからの時間は、何とも気づまりなものになった。

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