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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第4章 光と陽だまりの章

「大家が店子に渡す祝儀の常識を越えてるよ、あれは」
 勇一が笑いを堪え切れない様子で言った。
 白石さんが包んできた祝い金は何と二十万だった!! あれだけの大金をくれたのは、美月たちがよほど生活に困っているように見えたのだろうと後で二人は同じ結論に達した。
 白石さんは悪い人ではない。多分、若い二人を応援するつもりで大金を―恐らくは生活費の援助のつもりで―結婚祝という名目でくれたのだろう。祝い金であれば、美月たちが遠慮なく受け取れると考えたのかもしれない。
「俺たちがよっぽど困ってるように見えたんだろうな」
 誤解されたというのに、勇一は気を悪くする風もなく、むしろ嬉しげに明るく笑っている。
「そうだ、肝心なものを忘れてた」
 勇一が笑いをおさめ、傍らの紙袋から小さな包みを取り出した。そういえば、この紙の手提げ袋はアパートを出るときからずっと彼が後生大切に持っていたっけ。
 美月はそんなことを思い出しながら、勇一の手許を見ていた。
「センイル、チュッカヘ」
 聞いたこともない言葉の響きに小さく小首を傾ける。
 すると、勇一が口許を綻ばせた。
「これは俺の故国の言葉で誕生日おめでとうっていう意味なんだ」
「センイル、チュッカヘ」
 美月は、異国の不思議な発音の言葉を繰り返す。
「きれいな響きね。魔法の呪文みたい」
 そう応えると、勇一は声を上げて笑う。
「魔法の呪文? 面白いことを言うな」
 美月は英語は話せるが、ハングルとなると、さっぱりだ。だが、たった今、勇一が囁いた短い科白は本当に外つ国に伝わる摩訶不思議な呪文のような気がした。―美月の心を甘くとろけさせ、時めかせる秘密の呪文。
 美月がそんなことを知らず考えていると、勇一が愉しそうに言った。
「ハングル語に興味があるのなら、また、そのうち、教えるよ。難しいように見えて、結構憶えやすいんだよ」
「大丈夫かしら」
 美月が不安げに言うと、勇一は更に愉しげに言った。

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