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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第5章 光と陽だまりの章②

「美月さん、あの時、本当は先生に生みたくないって言うつもりだったんだろう?」
 突然の言葉に、美月は息を呑んで傍らを歩く勇一を見つめる。
「ほら、最後に先生が駄目押しのように訊いただろ、赤ちゃんは生みますよねって」
 ―図星だった。あの瞬間、美月は確かに言うつもりだった。こんな赤ちゃんなんか要らないから、中絶させて欲しい、と。
 短い沈黙の後、勇一が珍しく思いつめたような顔で溜息をついた。
「可哀想だよ。美月さんの気持ちや戸惑いは俺だって判るけど、でも、お腹の子には何の罪もないんだぜ? なのに、大人たちの思惑や都合だけで一方的に生まないだなんて、あんまりにも勝手すぎるんじゃないかな」
 言葉は穏やかだったけれど、その内容は辛辣なものだった。勇一の言葉は、美月が極力顔を背けて、見ないようにしようとする現実をあからさまに突きつけてくる。
「で、でもっ」
 美月は駄々っ子のように忙しなく首を振る。
「私は、どうしたら良いの? 大嫌いな、顔も見たくないような男の子どもをたった一人で生んで、愛情を注いで育ててゆくなんて、私には無理よ、できっこない」
 勇一の静かな声音が返ってくる。
「生んでやれよ、俺が側についていてやるから。ずっと見守ってるからさ、なっ?」
 勇一がふいに立ち止まった。
 物言いたげな顔で美月を見つめ、ゆっくりと語り出す。
「俺の親父とお袋が結婚するときは、大変だったらしいんだ。何しろ、お袋は一人娘だっただろう? お袋の両親は最初から、お袋を嫁に出すつもりなんかなかったのに、ある日突然、外国人の日本の男と結婚するって言い出して、皆は大騒ぎになったらしい。祖父や祖母はお袋を家に閉じ込めて外に出さないようにして、お袋には親父と別れろと迫ったっていうから、半端じゃないよな。でも、そのときには既に、俺の姉がお袋の胎内に宿っていたんだ」
 絶望した勇一の母は、祖父母にとうとう妊娠していることを暴露してしまった。衝撃的な事実をつきつけられ激怒した両親(祖父母)は、勇一の母に腹の子を堕ろせと強要した。
 だが、母は最後までそれを突っぱねたという。
―お腹の子の人生は誰のものでもない、この子自身のものなんです。天の神や御仏以外に、この子の生命を奪う権利なんて誰も持ってないわ。

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