テキストサイズ

紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第1章 炎と情熱の章①

 以前、ある企画会社が起業家向けのセミナーを開いた。その講師として押口晃司を招聘したところ、肝心のビジネスに関心のある男性諸氏よりも、どう見てもビジネスに縁のなさそうに見える女性陣が殺到した。結局、セミナ―後は、希望者が晃司と並んで記念撮影したり、サインを求めたり―と、タレントか俳優のファンの集いのような様相を呈してしまったという笑えない話もある。
 集まった女性たちの年齢層は幅広く、女子高生から若いOLを中心に、上は六十、七十代の婦人もいた。そのときも晃司は気さくな態度で女性たちに請われるままサインや握手に応じ、一緒にカメラにおさまった。その気取らない人柄がまた更に人気を呼んだことは言うまでもない。
 今だって、いかにも穏やかな口調でにこやかに話しかけてくるが、流石に側に近付いてくると、周囲を威圧するかのような有無を言わせぬ圧倒的な存在感がある。だが、美月は、そんな誰もがひれ伏したくなるような男の雰囲気に気圧されることはなかった。
 いくら世事に疎い美月でも、有名なこの押口社長の存在くらいは知っている。
 タラシでも有名だそうで、社長と文字どおりゴージャスな夜を過ごした〝愛人〟、〝恋人〟はひきも切らないという話だ。そういえば、あの早百合がいつか言っていたっけ。
―若社長がお声をかけて下されば、たった一夜限りでも歓んでお傍に上がるのにィ。
 と、例の耳障りな声で浮かれていた。
 江戸時代の大奥やイスラームのハレムでもあるまいに、何を馬鹿なことを言ってるんだと思ったものだけれど、なるほど、あの見かけは少々可愛くて頭の軽そうな子なら、この色ボケ社長とは似合いかも、なんて考えていたら、美月は思わず笑ってしまいそうになり、慌てて渋面をこしらえるのに苦労した。
「いえ、ご心配頂いて、ありがとうございます」
 美月が笑いを堪えて努めて平坦な口調で述べると、社長は、いっとう魅力的な笑顔で微笑む。
「僕はこう見えても回りくどいのは嫌いでね、単刀直入に言う。―君、僕と結婚したまえ」
「―は?」
 一瞬、いや、かなりの間をおいて美月が発したのは実に間の抜けた返答だった。次いで、やはり、この社長は色事―女の尻を追いかけ回すのに耽りすぎて、いささか頭がイカレてしまったのだろうと思い直す。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ