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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第6章 光と陽だまりの章③

 セーターにウェストのゆったりしたズボンをはいている美月は、まだ、どこから見ても妊婦には見えない。風呂に入るときに(むろん、築五十年近いこのアパートに風呂は付いていない。夜、仕事から戻ってきた勇一と共に近くの銭湯にゆくのも実は美月のひそかな愉しみの一つだ)裸になれば、確かにお腹は丸く膨らんできたのがよく判るのだが、サイズの大きな服を着てしまえば、まだまだ十分膨らみ始めたお腹は隠れる。美月はその上にニットのパーカーを羽織り、アパートを後にした。
 折角のイブの夜は過ぎたが、大切な今日という日を、少しでも長く勇一と一緒に過ごしたいと考えたのだ。
 美月が玄関のドアに手をかけたときになって、ずっと部屋の片隅で寝そべっていたポッキーがむくりと起きて、近寄ってきた。ポッキーが何故か引き止めるように、美月のパーカーの裾をくわえ引っ張る。まるで、〝行かないで〟と訴えかけるような黒い丸い瞳が哀しげに見え、美月は微笑みかける。
「そんなに淋しがらなくても大丈夫よ。すぐに帰ってくるから」
 ポッキーのふわふわとした手触りの良い背中をそっと撫で、優しく言い聞かせる。
 ポッキーがそれでもキュルルと物言いたげな表情で鼻を鳴らした。
 幸か不幸か、家を出る間際になって、雨が降り始めた。一旦降り始めた雨は止むどころか、どんどん烈しさを増してゆく。
 どうせ降るならば雨よりも雪の方がクリスマスには良かったのに。内心で無情な天の神さまを恨めしく思いつつ、勇一の分まで傘を持って出かけた。もし雨が降り始めるのがもう少し遅ければ、傘を持っていかないところだったから、間に合ったのは良しとせねばなるまい。

 アパートから駅前のコンビニまでは、歩けば二十分程度である。勇一はいつも自転車で通勤していた。
 どれくらい歩いたのだろうか、何度めかの四ツ辻の小さな雑貨店の前を通りかかったときだから、丁度半分の道程を歩いたところだったのだろう。
 〝Noel〟とペインティングされた切り株型の可愛らしい看板が目印である。この店で二ヵ月近く前、美月のバースデープレゼントとして贈ってくれたオルゴールを見つけたのだと、勇一が話していた。

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