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一度だけ抱いて~花は蝶に誘われてひらく~

第1章 【残り菊~小紅と碧天~】 始まりは雨

 今も涙混じりのおさわの声が耳奥に残っている。帰る当てもないあの乳母は今頃、どこでどうしているのだろうか。
 物想いに耽る小紅の耳を静かな雨音が打つ。そういえば、あの朝―父が情人(いろ)と出奔した朝も外は雨が降っていた。まるで誰かの流す涙のように、小紅の行く先を憐れむかのように、絹糸のような繊細な雨が庭木をしとどに濡らしていた。
 ひと雨毎に冬に向かっていく儚げな季節を知らしめるかのように、冷たい秋の終わりの雨は小紅の心を薄ら寒くさせた。

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