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そばにいて、そしてキスをして

第4章 戻れない

「着きました」

倉沢は右にウィンカーを出し、対向車が通りすぎるのを待って車をその建物の敷地に滑り込ませた。入ってもなお続く、舗装された道の両側はあじさい、百合、アカンサスと様々な季節の花が咲きこぼれていた。
ようやく車を停めると、倉沢は「そのままで」と言ってひとり降りた。そして助手席に素早く回ってドアを開けた。

「どうぞ」

そう言って倉沢は左手を差し出した。
この人がするから、サマになる。例えば松田に同じことをされたら鳥肌がたつに違いない。
倉沢の手を取って車を降りると、ひんやりした湿った空気が真緒を包んだ。思わず、目を閉じて肺いっぱいに吸い込みたくなる。

「気持ちいいでしょ?」
「…すごく」
「行きましょう」

平日の昼間、そのカフェは客がおらず音楽すら流れていなかった。案内されたテーブルは、街が一望できる場所だった。

「すごい…知らなかった」
「オーダーは、任せてもらえますか」
「はい」

こんな店、知らなかった。普段は店と家の往復であまり遠出もしない真緒は、所謂おしゃれな店にはあまり行ったことがなかった。食べたいものは、大抵自分で作れるからだ。

ふと倉沢の方を見ると、頬杖をついて同じように景色を眺めていた。その顔にまた見とれていると、視線だけ真緒の方に動かした倉沢のそれと真緒の目線が合ってしまった。どくん。心臓が跳ねた。

運ばれてきた料理は、ちょっとしたコース料理だった。メニューはオーソドックスだが野菜も魚も新鮮で、それでいて個性的な味付けで。真緒は料理を口に運びながらも色んな推理をしていた。その度に倉沢も「このポレンタ、何が入ってるんだろ」とか「このソースに粒マスタードか…」とつぶやくのだった。
洋酒に浸したケーキのデザートが終わるころ、倉沢が思い出したように言った。

「真緒さん、今朝僕にキスしませんでしたか?」

あ……嘘。バレてた…?

「いや、あの、」

しどろもどろになる真緒をよそに、倉沢はひとりごとのように続けた。

「夢かな?でもやけにリアルだったんです。すごく柔らかくて…」

まるで今日は何曜日だったかな?とでも言うような普通さで。そして再び視線を外に戻した。真緒は気が気でなく、次に倉沢が普通に会話を始めるまで、まともに顔を上げられなかった。

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